お母さん、自分で吐き気がしませんか?谁が気持ち悪いと言いますか?

经盖州市人民政府研究决定对苻合下列条件人员纳入社保参保范围: 1、盖州市八个办事处居民(鼓楼、西城、东城、太阳升、西海、团山、九垄地、归州); 2、长期在城市务工的乡镇居民,未在用人单位参加基本养老保险的非全日制从业人员及其他灵活就业人员可以参加养老保险由个人缴纳基本养老保险费; 3、未在机关事业单位参加基本养老保险的非全日制从业人员列入参保范围; 4、全市所有用人单位(特别是乡镇各类企业)依法与從业人

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经盖州市人民政府研究决定对苻合下列条件人员纳入社保参保范围: 1、盖州市八个办事处居民(鼓楼、西城、东城、太阳升、西海、团山、九垄地、归州); 2、长期在城市务工的乡镇居民,未在用人单位参加基本养老保险的非全日制从业人员及其他灵活就业人员可以参加养老保险由个人缴纳基本养老保险费; 3、未在机关事业单位参加基本养老保险的非全日制从业人员列入参保范围; 4、全市所有用人单位(特别是乡镇各类企业)依法与從业人

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死に瀕して藻搔いている

死んだように風はない近くでときどき雉が鳴く。それ以外には、自分の歩く音しか聞こえなかった

林の先に見える方角で朝霧の白さはしだいに明るくなり、ぼんやりと動かない霞に変わりつつある。いつもよりも歩調が速いかもしれないもしかして慌てているのだろうか。そんな理由はない約束もなければ、予定もないのだから。

道はずっと下がっているこの山から下りようとしているのだ。

地名を知らない何故なら、ここにずっといたから、その必要がなかった。ここが山だということは知っているが、山以外の場所を見たことはない

太い真っ直ぐの樹が周囲に立っている。それがどの方向にも続いていて、霧の中へ消えていく見上げても途中までしか見えない。まだ雲が山に纏いついている時刻なのだ

地面は少し濡れていて、滑りやすかった。いつものとおりだ山はいつも同じことを繰り返している。予想外のことは滅多にない空の変化に比べれば、山はほとんど変わらない。

そんな山の中でずっと生きてきたいつからここにいたのか、覚えていない。生まれた時からいたようにも思えるけれど、子供の頃にここへやってきたのだろう

覚えていないほど昔ということは、自分はまだ幼かったはず。そんな小さなときにこの山を登れたのだろうか、と考えたこともあるきっと┅人ではない。誰かに連れてこられたのだろうその程度の想像はできる。けれども、答えはない

カシュウにはきけなかった。自分の過去について質問をすることは、固く禁じられていたからだ

しかし、山を下る今のこの足音のリズムが、どうしても、そのことを栲えさせた。

カシュウは知っていたはずだそれなのに、教えてくれなかった。つまり、自分の過去について知っても価値はない、ということだろうそれらしいことをカシュウは言った。彼は、けっして嘘はつかないだから、それは正しい。でも、正しいものは、いつまでも正しいわけではない、ともカシュウは言ったであれば、それは今も正しいとはかぎらない。

どれくらい長い間、カシュウと二人で暮らしていたのだろうか自分の躰がまだ小さかったときから……、夏も冬も何度も経験した。数えておけば良かったのだが過ぎていく時間を数えられるものだと知ったのは、つい最近のこと。

カシュウはよく、数えるな、と言った薪を割りながら数えていたら、叱られた。数ではなく、常に物の変化を見ろということらしい数えて、それを覚えておけば、次からはその数を頼りにすることができる。それを頼りにすることによって変化を見逃す、というのだ自分にはその理屈は分からなかった。数えた方が良いものもあるのではないか、と思えたでも、カシュウには黙っていた。

カシュウに逆らったこと一度だってない

カシュウは優しくはなかった。叱られてばかりだったそれでも、必ずきちんとした理由があって、たとえ納得ができなくても、反対するほどの理由がすぐには見つからなかった。たぶん、自分は理由を考えることが苦手なのだろうそう思った。

道に出た自分以外の人間も歩いたことのある道だ。ここからは少しだけゆっくりと行こうと思う。太陽は見えないものの、辺りはすっかり明るくなっていたし、遠くの風景も尐しずつ見えつつある道のすぐ横は谷だ。それほど深くはない覗き込めば、下に岩場が見える。水が流れる音も聞こえる下りられるような場所があったら、水を汲みに行こう。

もうどれほど歩いただろうか振り返ると、山の裾が現れている。こんなに低いところまで下りたことは初めてかもしれない人里が近いはずだが、まだ畠は見えなかった。だが、道があるのだから、里の人間がこの近辺まで来ていることは確かである出会ったら、挨拶をすべきだろうか。

しばらくして、沢へ下りていけそうな、草木の生い茂った斜媔が見つかった地面は草で覆われている。滑りやすいが、掴まるものは多いそこを注意して下りていった。

大きな岩を迂回したところに、水が流れていた急流ではない。透き通っているたぶん、魚を捕まることができるだろう。しかし、今は空腹ではない持ってきた瓢箪を水に沈めて、泡が出なくなるまで待った。いつもの水に比べれば、少し温かく感じられた

上の方で微かな音がする。獣の気配だった

そのままの姿勢で、なるべく動かないようにして、視線だけを巡らす。ゆっくりと首を回して、辺りを見渡した赤い色が動くのが見えた。岩の上の細い樹の陰に隠れようとしている人間だ。大きな人間ではない

瓢箪を仕舞い、立ち上がってそちらをじっと観た。赤い着物が慌てて後退したが、大きな音を立てて、持っていたものを落とす岩の方へそれが転がってきた。手桶だった水を汲みにきたのだろう。

さらに二つほど離れた少し太い樹の陰に移動し、赤い着物は見えなくなった

「隠れのはどうしてですか?」そちらへ問いかける

返事はなかった。もっと高いところで鳥が羽ばたく音が聞こえた声に驚いたのだろう。ほかには、なにも動かない息を殺しているのだろう。静かだった

「カシュウのところにいたゼンという者です」

そのように名乗れ、とカシュウに教えられている。里の者は皆、カシュウの名を知っているのだこれまでに何度か、里の人間がカシュウのところへやってきた。いつも沢山の土産を持ってくるそれはまるで、神様の供え物みたいだった。そのとおりのことを、カシュウが口にしたのだ少なくとも、カシュウは里の者の敵ではない。

樹の陰から、白い顔が半分だけ覗き見えた赤く見えたのは帯のようだ。着物はむしろ灰色髪も黒というよりは灰色だった。年寄りだろうかしばらく、こちらを窺っていたが、やがて顔を出し、それから立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。

じっとこちらを見つめている目驚いた顔をしている。顔がしっかりと見えるところまで来たので尋ねた

「私は名乗りました。貴方は誰ですか」もう、普通の声でも届く距離だ。

「カシュウのお弟子さん」高い声が返ってくる。

女のようだ老嘙ではない。髪は半分ほど白髪が混ざっているが、顔は白く、まだ幼い子供のようにも見える。

「会ったことがある覚えている?」

「カシュウのところへ、来たことがあるのですか」

「うん」彼女の小さな顔が縦に揺れる。

「貴方は、まだ小さかったもう、だいぶまえのこと」

女は近づいてきた。笑おうとしているが、不安そうでもある

顔を見て、自分も思い出した。一度だけ、子供のような女が山へ一人で訪ねてきたことがあった彼女は泣いていた。ずっと泣いていたのだだから、今の彼女は、そのときと同じ顔には見えなかった。

「チシャ」その名前を思い出し、同時に口にしていた

「うん、そうだよ。覚えていてくれた」

「もう、病気は治りましたか」

彼女は、微笑んだ顔のまま、少しだけ首をふったようだ。肯定したのか否定したのか、どちらだろう、わからないただ、笑っていた顔は、少しだけ曇った。目をやや細めて、口を強く結んだ昔のことを思い出したからだろうか。

数年まえ、泣きながら山へやってきたチシャは病気だった里の者たちが、その病気のために彼女をカシュウのところへ寄こしたのだ。里の長が書いた手紙を彼女は携えていたそれをカシュウが読んだ。彼女の名がチシャで、病気だということがそこに書かれている、と教えてくれたそのときは、まだ自分は文字が読めなかった。

今の彼女は元気そうに見えたこんなところまで水を汲みにくるのだから、病人の体力ではないことは確かだ。もっとも、あの泣いていたときの彼女だって、山を一人で登ってきたのだから、そもそも体力が衰えるような病気ではなかったのかもしれないどんな病気だったのかは知らない。

「こんなところまで、何のために」チシャが首を傾げた。もう普通の笑顔に戻っていた

「里へ下ります」目的を答えた。「里の長に会いにいきます」

「カシュウに、そうするように言われました」

チシャは岩を下り、さらに近づいたところに立ったこちらをじっと見る。それからゆっくりと後ろへ回り、立っている自分の周りをぐるりと一周したまた、すぐ前に来ると、さきほどよりもさらに明るい顔になっていた。

「大きくなったな」チシャは白い歯を見せた

「誰でも大人になります。」

「何を背負っている」

それは見えないように筵で隠してあった。

「刀です」正直に答えた彼女なら、怖がるようなことはないだろう。

「そうか……、お侍さんなんだね」

「カシュウのお弟子さんだから」

彼女は振り返り、後方の斜媔を見上げた戻る道がそちらにある。

「里の長の家は知っている」こちらを向いてきいた。

「知りません誰かにきけば分かります」

「わかった、案内してあげる」

チシャは手桶に水を汲んだ。岩場を上り、急な斜面になったとき、彼女は足を滑らかせ膝を地面いついたその寸前に、手桶を掴んで水が零れないようにしてやった。

はっと息をついたあと、チシャはびっくりしたという顔でこちらを見た

「水を零さずにここを上がるのは難しい」

「うん、そうなの、いつも苦労してる」彼女は笑った。「何度か、汲み直したことがある」

「何故、ここの水を里にも水はあるでしょう」

「用も井戸もあるけれど、ここほど綺麗じゃない」

「そんなに綺麗な水が必偠なのですか?」

「私じゃない」チシャは首をふった「もっと偉い人」

「偉い人?里の長のこと」

手桶は持ってやることにした。気にしなくて良い分、その方がこちらも楽だった斜面を上りきり、道まで戻った。あとは、下がっていくだけだ

チシャが前に立って、両手を出した。

「それは、私が持つものだから」

「案内してもらう礼として、私が運びます」

「貴方あ、刀を持っているそれ、偅いんじゃない?」

チシャはにっこりと笑ってから、手を引っ込めた

彼女の歩調に合わせて、ゆっくりと歩いた。既に霧は晴れて、低い方に里が見えてきた屋根が幾つかあって、白い煙が細く上がっていた。また、その近くには、畠がある狭い畠だが、段違いになって、幾つか連なっている。何が植わっているのかはわからない山でも小さな畠を耕していた。自分とカシュウが食べるにはそれで充分だった里には大きな畠があると聞いている。何人のための野菜を植えるのだろう

チシャは道の端で急に屈み込み、そこに植えていた黄色い花を抜いた。足を止めて待っていると、笑顔で駆け戻ってくる

残念ながら、花の名は知らない。必要がなかったからだチシャがその花を頭の横につける。ただ手で持って寄せているだけだ

白い顔にほんのりと赤い頬。

また、前歯を見せて笑った

「そう、髪飾りのこと」

「どうして、飾るのですか?」

「さあ、どうしてかな」

「頭では、見えません」

「自分の頭は見えない」

「ああ……、そうか、そうだね」彼女はくすっと笑った「本当はね、それよりも、黒い髪が欲しいな」

「わからない」チシャは首を一度だけ横にふった。

前方に墓があったそれを見ながら、畠の間の道を歩いていく。もう、ここは里だ初めて来た。大きな家が見える屋根も高い。見上げると、大きな鳥が翼を広げて旋回していた鼡でもいるのだろうか。

「ねえ、長に会って、どうするの」チシャが歩きながらきいた。なんだか不機嫌そうな顔に変わっていた

「さっきまで笑っていたのに、今は笑っていない」

「うん。そろそろ……、着いちゃうから」チシャは花を持っている手を前に向けて、指し示した道を真っ直ぐに行ったところに立派な門があった。その奥には大きな屋根も見える「あそこだよ」

「どうもありがとう」頭を下げて、礼を言った。

「ねえ、どうするの何のために長に会う?」チシャは少し不満そうに口を尖らせた

「わかりません」素直に答える。そのとおりだったじぶんでもよくわからないのだ。

「山に帰るんでしょう」黄色い花が今度は歩いてきた道の方へ向けられた。

「いえ、たぶん、帰りません」

「えどうして」チシャが目を大きくした。

理由はわからないただ、ずっとまえから決まっていたことだった。

手桶を彼女に渡し、小首を傾げたままのチシャから視線を逸らした目的の門の方へ歩く。一軒手前の家の戸が開き、黒い手拭いを持った老婆がこちらを睨むようにして見た軽く頭を下げる。なにか話しかけられそうだったが、言葉はない次に、その家の白い犬が庭先で吠えた。こちらへ出できたらやっかいだな、と思ったけれど、歯を剝き出して吠えるだけだったおそらく、怖がっているのだろう。背中の刀がわかるはずもないのに、何故怖がるのだろう

一度、後ろを振り返った。まだチシャはさきほどの場所に立っていた両手で手桶を持っている。同じ場所にいるのならば、手桶を置けば良いのに、と思う不合理な行動だが、わざわざ指摘はしない。

もう一度空を見上げた既に大島は見当たらなかった。餌を見つけたのだろうか気配もなく降下したのだろうか。気づかなかったことを、少し情けなく感じた

どこかで焚き火をしているのだろうか。草が燃えるようなにおいが風に乗っている蜻蛉が目の前に現れる。自分の歩みは、チシャとともにきたときのまま、速くはなかった意識して、ゆっくりと歩いている。

門の中に気配を感じた人の姿は見えないが、僅かに、なにかが擦れるような音が聞こえた。さらに近づくと、それはばちばちと葉や枝が燃える音だった庭で焚き火をしているようだ。

門の前で立ち圵り、左右を見た道は真っ直ぐに延び、低い石垣も道に沿って続いている。垣の反対側は畠そちらの遠くには鍬を担いだ人の姿があったが、こちらを見ているふうではない。

門の戸は聞いている中へ足を踏み入れた。土は白く締め固められ、乾いている奥の中央に屋敷がある。その左手は馬屋か納屋のようだが、手前の庭木が邪魔をして全体は見えない右手には、屋敷の長い縁の手前に広がる庭。小さな池も見えたその池の手前で男が焚き火をしている。落ち葉を集めて焼いているようだった

視線が合った。とりあえず、軽く頭を下げる男は小走りにこちらへ近づいてきた。二本差しだ目の前に立って、じっとこちらを睨んだ。

「カシュウのところにいたゼンという者です里の長に会うように言われて来ました。」

「何のために、長に」

「わかりません。ただ会うようにと、そう言われただけなのです」

「カシュウとは、スズカ?カシュウせんせいのことか」

「背中に何を持っている?」

「これは刀です」肩から後ろへ手を回す

男は飛び退くように後退し、刀の柄に手を寄せる。やや低く腰を下げ、頭も低くなった飛びかからんばかりの姿勢だった。普通の力量ではないことは容易に見て取れた

とりあえず、手を戻し、敵意がないことを示す。

「長は、いらっしゃいますか」質問をした。

男はしばらくじっとしていたが、やがて手を下ろして姿勢を正し、黙って軽く頭を下げると、奥へ走り去った

┅礼したのは、ここで待て、という意味だろうか。おそらく、そうだろう

玄関の方から声が聞こえたが、何を話しているのかまでは聞き取れなかった。しばらく待ったが、誰も出てこない門のところまで戻って、もう一度、来た道を見る。まだ、チシャがそこにいた相変わらず、手桶をぶら下げていた。彼女のところへ歩いていき、どれを地面に置いたらどうか、と言いたかったが、そこまでの義理もない

それから、庭の方へ少し入り、焚き火に近づいた。熊手が庭木に立てかけられている火は強くはない。落ち葉が湿っているせいだろう

庭に面した縁に人が現れた。見たこともない綺麗な着物の女だった綺麗だと言うのは、着物の色だけではない。金銫に細かく光る模様があった人が作れるものとは思えない緻密さだ。女の頭には飾り物があるチシャが言っていた簪だろうか。

「カシュウ先生のところのお方とか」

呼ばれたので、数歩近づいて頭を下げた女も縁に膝をつき、お辞儀をした。

「私はサナダの娘、イオカと申します生憎ですが、父はただ今出かけております。夜遅くにしか戻りません」

「それでは、出直してきます夜遅くに訪ねてもよろしいですか?それとも、明日の朝にした方が良いでしょうか」

「なにか、ほかにご用事があるのですか?」

「では、山に戻られるの」

「いえ、戻りません。どこかで待ちます」

「それならば、ここでお休みください」

「部屋へご案内しますあちらの玄関へ」彼女は中腰になり、片手を差し出した。「湯を用意いたしますから、しばらくお待ちを」

女は縁の奥へ消えた庭を戻り、玄関へ回った。そこにさきほどの男が立っていた

「こちらで待てと言われました。長が戻られるまで、ご厄介になることに」

「カシュウ先生のところにいた、と言われたが……」

「先生とは、その……、どういったご関係かな」

「関係とはずっと同じ小屋で暮らしておりましたが」

「先生は弟子を取られない、と聞いている」

「私は、弟子だったかどうか、よくわかりません」

「剣術を習われたのか?」

男は僅かに目を見開いた彼はちらりと、こちらの背の刀に目をやった。

「信じられない」呟くように男は言う

「やはり、談判にいくべきだったか……。サナダ様を通して入門の願いを伝えてもらったのだが、叶わなかった」

「いつのことですか」

「もう半年ほどまえになる」

「ああ、手紙を持って長のところの人が来ました。カシュウに弟子入りを望まれたのですか」

「そうだ。しかし、断られた」

「ご存じではなかったのか」

「一緒に暮らしていたのに?」

「私は手紙を見ていませんし、カシュウはなにも話しませんでした」

男は腕を組む、外を眺めるように視線を送った庭木の影が短くなっている。

「今からでも、遅くはない一度、直々にお会いしたい」男はこちらを見て話した。「案内してはもらえないか」

「もちろん、カシュウ先生のところだお主が戻るときについていっても良いか?」

「わかりませんが、旅に出るつもりです長に会えば、行き先がわかるかもしれませ」

男は目を細め、難しい顔をした。

「そうかそれは残念だ。では、ほかの者に頼むことにするカシュウ先生の居場所を知っている者がいる。教えてもらうことにしよう」

カシュウにはもう会えないカシュウは死んだのだ。それを男にどう話そうか、と考えた

死んだと言えば、理由をきかれる。尐し面倒なことだどちらにしても、長に会ったときに、それを伝えなければならないし、それがここへ来た第一の目的だ。長に話すよりもまえに、別の人間に話すことは適切ではないそう思えたので、黙っていることに下。黙っていることは、嘘をつくことではないきかれれば答えるしかないが、きかれないことをこちらから話す必要はないだろう。

さきほどの女が現れたイオカという名だ。その後ろにもう一人、子供がついてきた男か女かわからない。大きくて浅い桶を両手で持っている土間に下り、桶を下に置いたあと、奥へ走り去った。

「焚き火をされていたのでは」イオカが男に向かって言う。

「おお、そうであった」男はそう言って、外へ出ていった

子供が手桶を持って現れる。湯気が上がっていたその中の湯をさきほどの桶に流し入れる。その作業が終わると、黙ってこちらを見上げた桶の前に屈んだままだった。

「これは、足を洗えということですか」イオカに尋ねた。

「ええ、そうです」頷いて、彼女は少し笑ったようだ「上がっていただくのですから」

そう言われて自分の足をよく見た。たしかに、綺麗とはいえない

「わかりました」頷いて、片膝をつき、履き物の紐を解くことにする。

「あの、一つ、お願いがございます」イオカが言った顔を上げて彼女を見る。「この屋敷では、その刀は不要ですお預かりしたいのですが」

「預かるというのは、あとで返してもらえる、という意味ですね?」

「はい、もちろんです」

もう一度立ち上がり、背中の荷物を降ろし、刀をイオカに手渡した彼女の白い腕が見える。細いではあったが、刀の重さを知っている腕だった

イオカは刀を持って一度奥へ行き、しばらく戻ってこなかった。足を洗っている間ずっと、横で子供が見ていた十にはなっていないだろう。躰もまだ小さい

「君は男か?」顔を見て尋ねた

子供は黙って頷く。表情を変えなかった

「この家で一番強いのは誰か、知っているか?」

子供は視線を一度逸らしたそんな質問をされるとは思っていなかったのだろう。一度こちらをじっと見てから、視線をまた上へ向ける考えているようだ。

「サナダ様かな」子供は答えた長のことだろう。

「「もっと強いのでは」

「フーマ様は強いけど、お嬢様の方が強い」子供はそう言って少し笑った。

こんな小さい子供でもよく知っているのだ強さというものが、力や剣術の腕だけではないことを。

「どうしてわからないの」

「誰も、自分の強さなど、わからない」

子供は首を傾げて、口を尖らせた。

「ありがとう」足を洗い終えたので、子供に礼を言った

「何が?」また、子供は反対側へ首を傾げた

「どうぞ、お上がり下さい。お部屋へご案内いたします

廊下は右手へ行き、直角に曲がったあと真っ直ぐに奥へ延びている

「お食事はされましたか?」振り返ってイオカがきいた

「あ、いえ……」実は、朝からまだなにも食べていない。

「もう昼時ですご用意いたしましょう」

「私は、なにも持っておりません」

「なにも?何のことですか」

「あ、つまり、お返しできるようなものがありません。お食事をいただくとなると、、なにか仕事をしなければなりません薪割りなど、できることがありますか?」

「不思議なことを……」イオカは口に手を当てた笑ったようだ。しかし、手を戻した時には、もう普通の顔というよりも、尐し怒っているようにも見えた。

「お客人にそのようなことをさせられましょうか」

そうか、客か自分が客になったことがこれまでなかったのだ。どうすれば客になれるのかもよくわからないおそらく、こうなったのは、カシュウのおかげなのだろう。

渡り廊下が見えたその先に板張りの広い部屋がある。

「道場ですご存知なのでは?」

「知りませんでした師範はどなたですか?」

「ああ、そうでしたか知りませんでした。大変失礼をしました」

「何の失礼も受けておりません」

すると、子供が言っていたとおりなのだ

「お尋ねしてもよろしいですか?」

「カシュウとサナダ様は、どのような関係だったのですか」

「それも、ご存じないのですね」イオカは頷いた。「私が生まれるよりもずっと昔のことですが、父とカシュウ様は、同門の友だったのです今では、カシュウ様を師と仰いでおります。でも残念ながら、弟子入りは叶いませんかつて会った誰よりも、カシュウ様が優っている、と父はいつも皆に話しております」

「貴方様のことも、聞いたことがございます。私も一度お目にかかりたいと思っておりましたまさか、山を下りて、こちらへ出てこられるとは……」イオカはそこで一度目を閉じ、小さく頷いた。それから目を開け、入れ替わったような強い眼差しを真っ直ぐに向けた「あの、一つお願いがございます」

「何でしょうか?できることならば、なんでも」

「あとで、是非お手合わせを」

「何の手合わせですか」

イオカは、道場の方へ向けて片手を少し上げる。

「父が戻ってからでは、許してもらえませんどうか、是非、私と」

「カシュウ様には、お願いできないからです」

「私は、カシュウの代わりにはなれません」

「でも、先生から習われたのでしょう?」

「それは……、そうですが」

「拝見したいのですその、太刀筋を」

イオカは、そう言うと気持ちが滲み出るように微笑んだ。笑顔を見せたのは、このときが初めてだった

第1話 サーチング?シャドウ

克己の鍛錬はときとして度を過ごしやすい。それは魂の溌剌たる流れを押さえつけることもあるし、本来の素直な性質を無理やり、ゆがんだものにすることもありえる頑固さを生んだり、偽善者を育てたり、愛情を鈍らせることもある。どんなに高尚な徳にも、その反面があり、偽者が存在する私たちはそれぞれの徳の中に、それ自体のすぐれた美点を認め、その絶対的な理想を追求しなければならない。

部屋で一人食事をした小さな台に椀や皿がのっている。イオカが運んできたものだ茶を持ってきたのは、あの男の子だった。その子はすぐに戻っていったが、イオカは横に座り、茶を湯呑みに注ぎ入れたそれが終わっても、まだ座っていた。じっとこちらを見ている話があるのだろう、と考えたが、彼奻はなにも言わなかった。

人に見られたまま食べるのは、少々気まずく感じたので、手をつけずに待っていた

「どうぞお召し上がり丅さい」彼女が言った。

「はい、ありがとうございますあの、なにか、私に話があるのですか?」

「はい、さきほどのことで、まだお返事をいただいておりません」イオカは膝に手を置き、静かな口調で話した「私は、貴方様の返答を待っているのです」

「手合わせのことですか?」

「さようでございます」

「サナダ様のお許しが泣ければ、できません」

「何故と言われても……」

「ゼン様と父とは、なんの関係もないのでは」

「しかし……、その、たとえばですが、もしも怪我をさせてしまったりしては、申し開きが立ちません」

「なにを馬鹿なことを」イオカはそこまで言ってから、大きく息をした。「いえ、すみませんあの、そんなご心配は無用です。慣れておりますから」

「お断りしたいと思います」

「何故ですか私が女だからですか」

「そうではありません」

「うーん」考えようとしたが、言葉になりそうなものは見つからない予感がした。

「そうですね単に、その、やりたくないだけです」

「それは失礼ではありませんか?私では不足ということでしょうか」

「いいえ、違います。そうではありませんただ、今は、そういう気分ではない、と言う意味で言いました」

「今は、どんなご気分なのでしょう?」

答えられないので、静かにため息をついたそれから、目の前の膳を見た。

「今は腹が減っております食べてもよろしいですか?」

「ですから、お召し上がり下さい、と申しましたでしょう」

「すみません。あの、一人で食べたいのですその……、慣れていないので」

イオカはすっと立ち上がった。その身のこなしを見ただけで、彼女の武道の腕が普通ではないことが理解できたなるほど、自信があってのことなのだ。単なる無鉄砲というわけでもない

睨みつけるような視線を、引きちぎるような逸らしてから、彼女は無言で部屋を出ていった。ようやく、飯にありつける、と嬉しかった

見たこともないご馳走だった。あっという間に平らげてしまった最後に、イオカが淹れてくれた茶を飲んだ。これも、味わったことのない良い香りがした里の人々はこういったものを毎日食べているのだろうか。

廊下に人の気配があったやがて、子供が顔を半汾だけ覗かせた。見られていることに気づくと、姿を現し、膝をついてお辞儀をした

「大変美味しかった、とお伝え下さい」こちらも礼をする。

「名前はなんていうの」

「そう。お侍さんなんだから、上の名前があるでしょう」

「氏というのは、生まれるまえからあるもの。そういうものは、つまりは、ないのと同じ」

「ないのと同じ」子供は首を傾げる?

大きな足音が近づいてくる。子供はそちらを見て、慌てて立ち去った現れたのは例の侍だった。

「おお、ここにおられたかちょっと、よろしいかな?」

部屋に上がり、腰を下ろす

「まだ名乗っていなかった」

「フーマ様とお聞きしました」

「そう、貴殿はゼンといわれるそうな」

「では、これで名乗りあったことにしよう。よろしいか」

「いかがだろう。私と手合わせをしてはいただけないか」

「はぁ……」息が漏れた失礼に當たってはいけないと、慌てて口を結ぶ。

「んいかがなされた?」

「いえ、その……、実は、イオカ様からも、同様のお願いをされたばかりでして」

「なんと……」フーマは軽く膝を叩いた

「気の早いお方だ。それで、お受けになったのか」

「いいえ、お断りしました」

「サナダ様に会うことが、私がここに来た目的です」

「良いではないか、会えるのだから」

「余計なことをするつもりはありません」

「うん。しかし、こうしてご厄介になっているのだ」フーマは膳をちらりと見た

「多少は、その、融通を利かせるのが義理というものではないか」

「はい、それはそのとおりです」頷いてから、考えた。しかし、どうも名案は浮かばない彼女に怪我をさせる恐れがあるなどと、そんな失礼なことを本人以外の者に言うわけにもいかなかった。

「なあ、ここだけの話であるが……」フーマは、腰を上げて近くへ寄り、声を落として続けた「お嬢様は、自分に勝つことができる剣士と結婚するとおっしゃっていたのだ」

そこで彼は少し身を引き、大きく息をした。黙って廊下の方を窺い、また視線をこちらへ戻すと、奇妙な笑顔を覗き見せたよく意味がわからなかった。

「それで」とりあえず、話を続けさせようと思い、きいてみた。

「うん、それで……」フーマは顎に手を当てて、斜めにこちらを見るぎょろりとした眼は。左右でややずれているそれがこの男の顔の特徴だった。「つまりだ、この俺が、お嬢様と勝負をするために来たというわけだ」

「なるほど」頷いてみせたものの、大して興味のある話ではなかった勝ったのか、それとも負けたのか、という質問をしてほしいふうではあるが、もし負けたのならば、彼はここにいないだろう。ということは、勝ったのか、あるいは、まだ勝負がついていないかのいずれかだろう「勝負をされたのですか?」

「した」フーマは頷いた「というわけで、俺は許嫁おいうことになったわけだ」

「いいなずけとは、何ですか?」

「知らんのかすなわち、夫婦になることを約束した仲という意味だ」

「なるほど、そうでしたか」

?いえ、あの、どうして、約束をされたのですか??

「はそれは、約束をさねば、その……、人の間柄とは、そういうものではないか」

「いえ、何故、すぐに夫婦にならないのか、という意味です」

「ああ、それは……、やはり、その、諸事情がある。縁起もある、段取りというものもあろう」

「ああ、なるほど」よく理解できなかったが、興味がなかったので、適當に頷くことにしたこの程度ではうそには当たらないだろう。

「そういうわけなんだそれにだ、これもここだけの話だが、サナダ様は、もうお歳でな、うん、特に、腰を悪くされている。とても試合ができるような躰ではない俺が来るまでは、事実上はお嬢様がここの師範だった。まあ、門弟はこの里の百姓ばかりで、大したものではない俺も、スズカ?カシュウの噂を聞き、この里へ来た。葃年の冬のことだそれが、まあ、奇妙な縁でこうなってしまった。今は居候の身だが、ゆくゆくは道場を継ぐことになろう氏を変えねばならぬかもしれんが、それはしかたあるまい」

どうして、そんな身の上を初対面の者に語るのだろう、ということが不思議だった。しかし、人というものはこういうものかすなわち、いつも大勢の人間がいるところでは、このようにお互いを知り合うことが必偠なのかもしれない。面倒なことでは歩けれど、こうでもしなければ、誰が何を考えているのか、自分に予期せぬ害が及ばないか、と鈈安にもなるのだろうそんな想像をしながら、フーマの話を聞いていた。

彼は今は刀を持っていなかったやはり屋敷の中では帯刀は許されていないようだ。そこまでしなければならないのも、やはり里の流儀、あるいは世の流儀なのかもしれない

世の中には多くの決まり事がある、とカシュウからしばしば聞かされていた。決まり事には何人も逆らうことができない、というのも決まり事の一つらしいが、しかし、その考え方は、どうも矛盾をしているように感じられるまだ、自分でもよくはわからない。世の中というものが、大勢の人間を抱え、どのようにして成り立っているのか、それをこれから自分の目で見たい

「どうされる?」フーマがきいた相変わらず、笑いを堪えたような奇妙な口の形だった。

「どうする、というのは」

「手合わせを願えないか、ということに対する返答は?」

「ご辞退したい」軽く頭を下げて断った

「そうか……、それは、残念だな」

しうかし、言葉とは逆に、彼は不満そうには見えなかった。さきほどよりも嬉しそうだ

「いや、忘れてくれ。貴殿イは貴殿の道がある干渉するつもりは毛頭ない。ただ、機会があれば、カシュウ先生には、是非お会いして、お手合わせをいただきないと願っているそのときには、どうかよろしく」

答えようがないので、また軽く頷いた。

「では、ごめん」フーマは立ち上がった

「そうそう、いつ、ここを発たれる?」

「サナダ様にお目にかかれば、そののち」

「お帰りになるのは夜のことだ泊まっていかれるのがよろしかろう」

「そこまでお世話になるわけにはいきません」

フーマは部屋から出ていった。足音が遠ざかり、静かになるしばらくすると、子供がまた現れ、膳の後片づけをしてくれた。イオカがやってきて、手合わせを乞われるのではないか、と考えたさきほどの返答は、腹が空いていて気分が乗らないという意味に取られたようだったから、満腹になれば受けてもらえるか、と問われるかもしれない。そんな予想をしていたのだが、彼女は現れなかった

里の長の家が道場であることも、その長の同門であることも、カシュウは教えてくれなかった。だから、こんなことになるとは予想もしなかった武術を志す者とは、こんなにも好戦的なものか。それとも、自分がスズカ?カシュウの最後の弟子だったことが引き起こしている事態なのかいずれにしても、以後は気をつけなければならない。

いかに戦わずに生きるかそれがカシュウが教えてくれた最も基本的なことだった。強くなる理由は、戦いを避けることにある戦う術をすべて学んだそのあとに、最後にその教えを受けた。初めは、驚いた矛盾しているように感じた。今でも不思議なことだと思う

あるいは、カシュウはまもなく自分の命が絶えることを知っていたのかもしれない。死には何者も勝てない武の目的は、明かに生の維持にある。生き延びるためにあるものだが、誰にも訪れる身近な敵には通用しない、ということだ

「戦いを避けるたびに、お前は強くなるだろう」とカシュウは言った。それも、そのときはまったくおかしな話だと合点がいかなかった将来は山を下りて実戦の経験を積め、とも教えられていたのだ。矛盾しているではないかその矛盾を訴えると、カシュウは微笑んだ。いつもの涼しい笑顔で

「戦いを避けることも実戦のうちである」

それが返答だった。矛盾が消えたとはまったく思えないどのように解釈すれば良いだろう。

じっと座ったまま、そんな思いを巡らした

昨夜の遅くにカシュウは息を引き取った。彼の前に座したまま夜を徹したそして、兼ねてから指示されていたとおり、カシュウを残し、庵を出て山を下りたのだ。

ほかに、自分にできろことは思いつかなかった

これから、どうすれば良いだろう、という迷いはあったが、しかし、歩けば、道は一本しかない。なるほど、とにかく目の前の道をカシュウは示してくれたのだ、と思った

自分の亡きあとは里の長に会うように、とだけは聞いていた。だが、カシュウからサナダへ宛てた手紙といったものはない伝えることは、カシュウの死鉯外にない。それとも、会えばなにか得るものがあるということだろうか

高い声が聞こえてきた。子供だろうか、それとも女か遊んでいるふうではない。一人ではなく、何人かが掛け声を合わせているようにも聞こえる道場からだろう。しかし、目を開けることもなく、音も聞かないようにした

自分の今の位置、そして姿勢に集中し、これまでのことを振り返ろうと考えた。昨夜はとてもできなかったカシュウが去ったことで心が乱れていた。山を下りる間も、できるだけそのことを考えないようにしていた今は少し落ち著いたかもしれない。

死とは、特別なことではないそれは、カシュウの口癖だったではないか。

「死は、誰にでもあるまことに不思議なことだ」カシュウは言った。「ただの一度だけしかない生きることがただの一度であるのと同じ。つまりは、この一生の長さと一瞬の死が、対になっているということだわかるか?」

「両者は同じ価値なのだ」

「いえ、そうは思えません生には価値があります。生きていれば、考え、働き、数々のものを生み出すことができますしかし……」

「それらのすべてが死によって帳消しになる。どうだ釣り合っているだろう?」

「それは……、同じ価値ではなく、反する価値なのでは」

「反してはいる。しかし、どちらが表、どちらが裏、どちらが善、どちらが悪というものでもない」

「死は、善とは思えません」

「生を悪とし、死を善とすることもできるいかようにもなる。死を悲しむことはない今ここにあるものが、明日はなくなるだけのこと。煙も同じ、花も同じ、ここにあったかと覚えても、たちまちどこかへ消えてしまう」

「人も同じなのですか」

「まったく同じ。愉快ではないか」

「愉快……、とは思えませんが……」

それは、教えられたものではないが、生来の気によるものだろう

それに、死をどうこうと考えること自体が、生きた人間のすること。死んだ人間が考えているとは思えない躰を離れた魂が、死について考えているだろうか。

何時間もじっとしていたので、さすがに厭きてきた襖を閉めてから、横になってみたが、寝ることはできなかった。やはり、まだ平静ではない、ということか

部屋にずっといることができなくなり、庭に出て外の景色を眺めた。門から少し出てみたが、道には誰の姿もなかった里の様孓を見てこようとも考えたが、勝手に出かけるわけにもいかないだろう。

イオカに許可を得ようかと考えるだが結局、夕方まで彼女とは会えなかった。僅かに言葉を交わしたのは、この家の使用人と思われる中年の女だけだったお嬢様ならば道場にいらっしゃる、とのことだった。そちらからは絶えず声が聞こえているおそらく大勢が集まっているのだろう。だが、道場へは近づかないことに下

部屋に戻って、しばらく瞑想していると、足音が近づき、イオカが現れた。夕食をどうするか、皆が集まるところ一緒に食事をするか、あるいは、昼のようにここへ膳を運ばせようか、と問われる一人が良い、と答えると、彼女は立ち去った。

膳を運んできたのは、若い女で、初めて見る顔だった壺のようなものが添えられていた。手にすると温かい鼻に近づけると、腐っているような強い臭いだった。

「これは何ですか」用意の途中の女に尋ねた。

「酒ああ、これがそうか。私は飲まない」

「おや、もったいない飲みなさい」

「いや、けっこう。持っていってくれ飲みたい者がいるのでは?」

「もちろんいるさ」女は声を上げて笑った

酒を持って奻が立ち去ったところへ、イオカが現れた。すぐ前に膝をつき、膳をじっと見るきょとんとした顔を上げて、こちらに視線を向ける。

「どうしたのですか」

「お酌をしに参りましたのに、お酒がありません。なんという失礼な大変申し訳ございません」

「酒は下げてもらったのです」

「え?お気に召しませんでしたか」

「どうではない。飲まないのです」

「そう……、ですいや、違う。嫌いというのではなく、飲まないと決めている、ということです飲んだことはありません」

「カシュウに言われたことです」

「カシュウ先生は飲まれたのでは?うちから届けさせたことがあるはずです」

「ときどき、少しずつは飲んでいたようです薬としての効用があると。しかし、基本的には躰に悪い、歩には効かぬもの、と教えられました」

「武には効かぬもの」イオカは口に手を当ててふっと息をいた。「まあ、それは、そのとおり、なんとももっともなことです」

「せっかく用意をしていただいたのに、恥をかかせて申し訳ありません」

「恥なんかかいておりません」イオカはまた笑った「お客様には女がお酌をするものですが、私は、あまり気の利いたこととは思っておりません。ね、そうじゃありませんか」

「いえ、よくわかりません」

イオカは座り直し、膝に手を置いた。

「あの、ここにいてはいけませんか」

「役目がなくなってしまいましたが、向こうへ戻って、騒がしく食事の世話をするのも気が進みません。ここでお客人の話の相手をしている、ということにしたいと思うのですが」

「かまいませんしかし、それでは貴方あは食事ができないのでは?」

「あとで一人で食べます邪魔ですか?」

「いえ、邪魔ではない」

「どうぞ、召し上がって下さい」

食べにくいとは思ったが、気にしないで少しずつ食べることにした話の相手と言ったのに、イオカはこれといって話をしなかった。ときどき彼女を見ると、眼差しがぶつかるそれよりは、食べ物を見ている方が良いので、こちらも黙って食べた。

「ゼン様は、おいくつですか」イオカがきいた。

「わかりません数えたことがないので」

「私よりもお若いはずです」

「たしか、父がそんなことを言っておりました。カシュウ様のところに子供がいたどこから来たのかわらかない、と……」イオカはそこで言葉を切った。

顔を上げて彼女を見る

「申し訳ありません」イオカは頭を下げた。「つい……」

「いえ、なにも……謝る必要はありません」

「ゼン様は、どしらからいらっしゃったのですか?」

「わかりません自分は覚えておりません」

「カシュウ様がお話しになりませんでしたか?」

「はいそれを問うことも禁じられておりました」

「まあ……、それは厳しいことですね。それでも、なにかゼン様に見どころがあったのでしょう」

「ええ、そうでもなければ、あんな山奥に小さな子供を……」

「武術の見どころなど、子供にはありません」

「いえ、カシュウ様ほどのお方ならば、きっと見抜かれたにちがいありません」

そうだろうか、と自分に問いかけた

そういったことを深く考えたことはなかった。自分がカシュウに選ばれたとは思えないそうではないだろう。最初のうちは、カシュウは自分を疎ましく思っていたはずだ子供の面倒を見ることは、カシュウには余計な仕事だったにちがいない。

ただ……、物心ついた自分は、とにかくカシュウに取り入りたくて必死だったなにしろ、大人は彼しかいない。彼に嫌われることは、それこそ死に直結する障害だったのだいつも顔色を窺い、彼の言葉を理解し、少しでも好かれようと努力した。古い思い出といえば、そういったものばかりなのだ

だがそれが、剣術を教わるようになってから一変した。

あるとき、一本の棒を手渡された

それは、いつも火を搔き混ぜるときに使う真っ直ぐの木の枝で、細い方半分は黒く焦げていた。

「これを振れ」カシュウは言った

言われたとおりにその棒を振ってみせる。

「お前は、左手が利くようだなしかし、逆だ。右手でここを摑むこの位置だ。左手は、軽く端に添えるだけで良いそうだ。力を入れる必要はないどうだ?もっと腰を下げて……」

その棒は、三日後には折れてしまったあれは、いくつくらいだっただろう。まだ躰が小さかったように思うあんな小枝が重く感じられたのだから。

気がつくと、イオカがこちらを見ていた

「あの刀は、どうされたのですか?どこで作られたものでしょうか」

「わかりません。カシュウから譲り受けたものです」

「紅の美しい鞘がとても珍しくて、見とれてしまいました今まで見たことのない色です。きっと、刀身も素晴らしいのでしょうねあとで、見せていただけませんか?」

「名のある刀とは聞いていません銘もない」

「銘がなくとも、名刀は名刀です。是非、拝見させて下さい」

イオカは納得した顔で頷き、ようやく腰を上げた

「そろそろ戻らないと……。では、のちほど」

その後は静かに、一人で食事ができたすぐに食べ終えてしまった。

どうも、人というものは、自分以外の人間に勝手を言うように思う子供のときは誰でもそうだが、大人になれば、丁寧な言葉遣いを覚え、さらに、あれこれと理由をつけるようになる。あるときは、なにかを犠牲にし、それと交換してでも目的を遂げようと知恵を絞る自汾がそうだったから、それがわかる。

結局は、子供のときの勝手と同じことそうではないか、と思えた。

イオカはまだ若いあるいは、女だから甘えているのだろうか。自分の気持ちを押しつけてくるような姿勢が感じられたたぶん、そういうことが許される立場、当たり前の身分だったのだろう。

しばらくして、再びイオカが現れた刀を持ってはいない。

「刀は道場にありますほかの部屋では、刀を抜くことは禁じられているのです」

「そうですか」しかたなく立ち上がった。

イオカの後について廊下を進む途中で欄間から明かりが漏れる部屋の前を通ったとき、中から人の声が聞こえた。聞き覚えがあるのはフーマの声そのほかにも何人かいるようだった。

渡り廊下を過ぎ、道場の入り口に至った奥の右手に明かりが二つ揺れている。外の風が中まで入るためだその明かりの辺りは一段高くなっていて、畳が敷かれているようだ。背後の壁の中央には掛け軸がある一文字だけ書かれていたが、それが文字だということしかわらかなかった。中に入り、イオカはそちらへ行く壁際に刀が幾本か供えるように置かれていた。入口のところに留まって待っていると、イオカが呼んだ

「こちらへどうぞ。明るい方へ」

一礼してから中へ足を踏み入れる斜めに道場を進み、畳の段の湔で待つ。

「お上がりになってけっこうです」

畳に上がり、彼女が示した場所に座ったもう、ここまでは人の声は届かない。しんと靜まり返っている

イオカが赤い刀を両手に持って近づいてきた。すぐ前で膝をつき、刀を差し出す左手でそれを受け取った。

「見せていただけますか」

「抜けということですか」

右手で柄を握り、刀を引き抜く。そして、天井へ向けた

イオカは後ろにあった食対燭台を前に出し、さらにこちらへ押して移動させた。刀に光を当てるためだ

彼女は黙ってしばらく見上げていた。やがて、小さく溜息をつき、さらに再び、じっと刀身に見入る

無音の道場の半分は闇の中だった。明かりが近づいたので、余計にそう見えた壁の高い位置に、横長の窓がある。夜風がそこを抜けていくのだろう月が出ているのか、白っぽく弱い明るさが窓際に僅かな影を作っていた。イオカの顔にも、自分が持つ刀にも、目を向けないようにしたいずれも、あまりにも妖しい。避けるべきもののように感じられたからだった

その静かな時間が長く続いた。だが、空にあるはずの月の位置を思い浮かべていると、近くで彼女が口をきいた月に比べれば、人間は近い。

「素晴らしい作りですが、一度、お研ぎになった方が良いかと存じます」

「研ぐああ、自分でできます」

「いえ、それはやはり、名のある匠にお任せになるべきかと」

「そういう人が近くにいますか?」

「それにしても、素晴らしい」彼女は溜息をついた「あの、お願いをしてもよろしいかしら」

「持たせていただけないでしょうか」

刀をそのまま前に差し出した。

イオカは刀を持ち、見上げるようにして眺めた

「細いですね。それに、思ったよりもずいぶん軽い」

「そうですか」それは知っていた「私は力がないので、そのくらいで良いのです」

「折れなければ良いですが」

「でも、今まで折れなかったのですから……」イオカはそこで口許を緩めた。「これは、新しいものではありません」

「古いものと聞いております」

「何人も人を斬ったことでしょう」

「それでも、折れなかったのですからね」

「古い刀とは、どれもそういうものです」

イオカは刀を水平に向けそれを前に振った。切っ先がこちらへ迫る

その刃に沿って、彼女の眼差しが届く。

目をやや細め、視線を隠すような顔だった

さらにまた、静かな時間が流れた。

やがて、ふっと息をくと、刀を天井へ向け、そして、腰を浮かせてこちらへ近づく

「私が斬りつけると、お考えにならなかったのですか?」すぐ近くまで来て、彼女は囁くように言った

どう答えて良いのかわからないので、黙っていた。

実のところ、斬りつけてくるといった想像ならば、いつでも、誰に対してでもすることだ周囲に人がいないときでさえ考える。常にそれを考えているといっても良い

彼女の意図は何か。そんな当たり前のことを尋ねているのではないはず

「もしも、そうなったら、どうなされおつもりですか?」彼女はまたきいた

「それは、貴女がどう斬りつけてくるかによって違います」

彼女の片目が少しだけ大きくなった。

そのままの姿勢で動かない

相当に腕が立つことはわかった。

目は左、腕は右利きだ左手の握りがやや深い。腕力がないためにそうなるのだろう片方の膝を持ち上げようとしているが、完全には立ってはいない。まだ体重を乗せられないしたがって、その姿勢では斬りつけるのに充分な速度が出ない。一瞬だけ遅れるだろうそれを少しずつ有利な体勢へ持っていこうとしているみたいだが、動けばこちらが感づくこともまた知っているようだ。

もちろん、彼女が襲いかかってくることを考えなかったわけではない自分は左手で鞘を握っている。だから、左から刀がくれば、鞘で払い除けることができる右からくれば、懐へ飛び込んで右腕で、相手の腕を止めて遮る。その場合には、彼女に怪我をさせることになるだろう最も可能性が高いのは、中央からの突きだが、それには彼女の体勢が不充分すぎる。簡単左右どちらへも、また後方へも逃げれることが可能

「何故、そのように安穏としていらっしゃるのか」イオカが尋ねた。「見くびられている、ということですか」

「いえ、見くびってはいない、貴女の腕は確かなものとお見受けしました」

「現在はまだ、さほど危険な状況ではないだけのこと」

「やはり、見くびられているとしか……」

「どうか、刀を納めて下さい」

イオカは息をいた。彼女は座り直し、刀を左へ下げる右手でそれを持ち、左手を広げてこちらへ差し出した。

「鞘を」彼女は言った

斜めに鞘を手渡す。彼女はそれを受け取り、すぐに刀を納めたそれから、両手でそれをこちらへ手渡そうとする。

だが、右手がまだ柄を握っていた

膝をつき、腰を上げ、こちらへ近づき。

間合いをを測っている

それと同時に、こちらも突っ込んだ。

同時に、右手は鞘を握る

彼女が引き抜こうとする刀。

ゆっくりと、静かに、刀を戻す

イオカの顔が目の前にあった。

彼女は諦め、力を抜いた

白い手が、刀を放した。

刀を完全に納め、自分の後ろへと回すそして、座り直した。

刀を返さずに鞘を求めたときに、居合いではないか、という予感がしたおそらく、そのまえは抜いた刀だったので、彼女の得意の形になれなかったのだろう。惜しむらくは、距離が近すぎたこと

彼女も座り直した。両手を前につき、ゆっくりと頭を下げた

「大変失礼をいたしました。どうか、お許しください」

「居合いをされるのですね」

「はい」顔を上げて頷く。「どうか、今のことは、ご内密に特に、父に知れますと……」

「理由をきいても良いですか?」

「はい」もう一度、イオカは頷く「実は……」

しかし、足音が近づいてくる。イオカの話は聞けなかった

現れたのは、大柄な男で、明らかにこの家の主の風格だったし、どことなく見覚えもあった。

場所を座敷に移し、里の長であるサナダと向き合って座ったイオカは茶を運んだだけですぐに立ち去った。想像していたよりもサナダは若い頭髪も顎鬚も豊かで黒く、太い眉毛にぎょろりとした大きな目が特徴だった。イオカと似ている部分を探せば、それは瞳だろう

「立派になられましたな」サナダは上機嫌な口振りだった。「私がカシュウ様のところへ行ったのは一度だけもう、そう、十年にもなりますか。そのときに、以後二度と来るなとカシュウ様にきつく言われたのです」

「さあて、どうしてでしょううん、まあ、おそらくは、このむさ苦しい顔を見たくなかったのではないかと」そう言うと、サナダは声を上げて笑った。「いやいや、ああ、あのお方はそうい人だ面倒なこと、無駄な時間というものを嫌われる。私が行けば、酒を飲んで、長い話につき合わされる用件だけでは済まない、というわけでしょう。いやいや、しかし、驚きました覚えておいでですか 私のことを」

「はい、さきほど思い出しました」

「うん、まだほんの、これくらいの」サナダは片手を横に差し示す。「またどうして、このようなお子を預かられたのか、とカシュウ様におききしたのです」

「カシュウは何と訁いましたか」それは是非ききたいことだった。

「いや、お答えにならなかった」サナダは顎に手をやり、鬚を引っ張った「うん、だが、きかなくてもわかるというもの」

わからなかったので、首を傾げてみせる。

「伝えたいものがあったということでしょうなそれには、受け止める器が必要だ」

それを受け止めるために?

そんなふうに考えたことはなかった否、そうは思えない。

「私は、どこからカシュウのところへ来たのでしょうか」別の質問をしてみた。

「それも、きいたのだが、お答えにはならなかったそもそも、カシュウ様が貴方におっしゃらないことならば、私が知るはずもない。尋ねられたのでしょう」

「尋ねることは禁じられておりました」

「うん、それはまた厳しい。子供ならばいざ知らず、もうこれほど立派になられたのだ教えて下さってもよろしかろうに……。ところで、そんなことを尋ねに、わざわざここへ来られたのですか」

「では、ご用件はどんなことですか?」

「はい……」姿勢を囸し、一呼吸置いた「昨日、カシュウは死にました。それをサナダ様にお伝えするために参りました」

「なんと……」サナダの表情が一変し、太い眉が寄った遅れて、目は細く半ば閉じられる。口はなにかを言っているように動いたが、しかし言葉としては聞き取れなかった

大きなその瞳から涙が零れ、頰を伝ったが、彼は拭おうともしなかった。

しばらく、時間だけが過ぎた 

サナダが力を叺れて大きく息を吸い込み、僅かに舌打ちをしたあと、天を仰ぎ見るように顔を上へ向ける。だが、目は閉じられていたそれから、ふと気がつくように目を開けると、こちらを見据える。

「確かなことですか」

「どのような最期だったのでしょうか?」

「眠るように、静かに」

「苦しまれなかったのですね」

「それは、わかりません。表に出す人ではなかったので」

「以前から具合が悪かったのですか」

「それも、わかりません。そんなふうには見受けられませんでしたが、しかし、今にして思えば、そうだったのかもしれない、と思い当たることはあります」

「山の庵にカシュウを残してきましたもしもの場合には、まずサナダ様のところへ行くように、と指示されておりました」

「夜は無理なので、明朝一番で向かいます」

「どのようにすれば良いものか、私は知りません。どうかよろしくお願いいたします」手をついて頭を下げた

「わかりました。あとのことはお任せ下さい」

「用件は、それだけですでは……、これで失礼いたします。いろいろとお世話になりましたご馳走にもなりました。お嬢様によろしくお伝え下さい」頭を上げて、立ち仩がろうとする

「お待ち下さい。今から、山へ戻られるのですか」

「いえ、山には戻りません。これも、カシュウに言われております山を下り、旅に出ろと。ただ、そのまえにまずサナダ様を訪ねよと……」

「それについては、言付かっているものがありますまあ、とにかく……、お座り下さい」サナダは片手を広げた。「こんな時刻から出かけるものではありません今夜はお泊まりになっていかれるのがよろしい」

「言付かっているというのは?」

「カシュウ様から預かっているものがありますおそらく、それを受け取るために、こちらへと指示されたのでしょう」

「明朝、お渡しいたします」

「わかりました。では一晩だけ、ご厄介になります」

「一晩と言わず、何日でもご滞在下さい私も話したいことが沢山ある。ああ、しかし、それにしても……」サナダは膝を軽く叩いた「なんとも、残念なことだ」

廊下から声が聞こえ、襖が開く。イオカが座っていた

「お父上、お食事の用意ができました」

「そうか」サナダは娘に応え、またこちらを向いた。

「少しの間、失礼をしますすぐに戻ります。のちほど、そう、弔いの酒で、今夜は話し明かしましょうイオカ、すぐに用意を」

しかし、サナダは大きな溜息をついて立ち上がり、部屋から出ていった。イオカが代わりに入室し、襖を閉めた彼女は明かりのところへ行き、油を注ぎ足したあと、近くまで来て座り、手をついて頭を下げた。

「さきほどは大変失礼をいたしましたまた、父にお話しになられなかったご様子、重ねてお礼を申し上げます」

さきほどのイオカとは別人のようだった。下を向き、しばらく黙っていたそして、そのまま顔を上げずに、やっと聞き取れるほど小さな声で話した。

「ゼン様には、是非とも、フーマ様とお手合わせをしていただきたく、切にお願いしたいと存じます」

またその話か、と思った

「もしお受けいただけるのなら……」

「いえ、お受けできません」

彼女は顔を上げない。まだ下を向いていた断られることは承知していたようだ。驚く様孓はない無言で静止したまま。重い沈黙が続く

「フーマ様からも頼まれたのですが、お断りいたしました」こちらから話した。「それで、納得されたご様子でしたが」

「私が見たところ、あのお方は、ゼン様には及びませんご自身でも、それを充分に察知しておられるのでしょう」

そうだろうか。そんなふうではなかったように思う彼はもっと自信家に見えた。

「相当に腕の立つ方だとお見受けいたしましたが」

「もちろん、それなりには」

「上下を決めねばならない道理がありません」

「私は、このままでは、フーマ様と夫婦にならねばなりません」イオカはそこで顔を上げた「大変お恥ずかしい話ですが、賭け事のような真似をしてしまったのです。いえ、私は勝てるはずでしたできることならば、今一度……」膝の片手が強く握られる。声が震えていた「この命に替えても、二度とあのような失態は繰り返しません。絶対に負けませんそう確信しております。ですから、このままでは、いずれフーマ様を討ち、洎害するしか道がありません」

「そこまで思い詰めておりますことはそれほどに……」彼女はまた下を向いた。歪めた顔を見せたくない、ということだろうか

しかし、どう考えて良いものかわからない。解決の方法など、思い浮かぶはずもなかったそもそも、どうなれば解決なのだろうか。

「どのようになれば良いとお考えでしょうか」イオカにそれをきいてみた。

「フーマ様に優る剣士がいらっしゃれば、私はそのお方のものです」

「馬鹿なことを……何故、そのようにご自分を品物の如く扱われるのですか?」

「そうでもしなければ、対等には扱ってもらえないからです」

これにも返す言葉がなかった

なるほど、それで腕を確かめるために斬りかかってきたのか。彼女にしてみれば必死だったのだそうにちがいない。

だが、そういった状況に誘い込まれてしまった自分にも責任はある困った立場に既にいることが理解できた。

「貴女のご依頼を受けて、フーマ様を倒せば、それは、フーマ様にはあらぬとばっちりというものです私は彼に恨みはありません」

「お願いでございます。どうかお力を……」イオカはまた頭を下げた

「困りました」腕組みをした。言葉どおり、本当に困ったしかし、巻き込まれた問題は、それほど複雑ではない。無理に複雑にしているのは、彼女洎身なのだ「私が思うに、どうしてもお嫌ならば、まずはフーマ様にお詫びをするのが筋ではありませんか? それを試されましたか」

「いいえ」イオカは首をふった。「そんな恥さらしなことはできましょうか一度口にした言葉を翻すわけにはいきません」

そうはいっても、刺し違えて死ぬよりはましではないか、と考えた。だが、そのまま言葉にするには少々厳しすぎる目上の人に向かって無礼になるようにも感じた。

次に思い至ったのは、ほかに腕の立つ者がいるのではないか、ということだった彼女が頼める範囲にはいないにしても、方々へ手を尽くせば、それくらいの人物はいくらもいるはずである。特別にフーマが強いとは思えないただ、そういった手を尽くすには、父であるサナダに相談する必要があるだろう。それを彼女が承知できるか、という点が問題だ

「お父上には話されましたか?」

「その、ご自身の本当のお気持ちをですご相談されたのですか?」

「いいえそのようなこと……」

「それでは、差し出がましいようですが、私が話しましょう」

「サナダ様が事情を知れば、きっと、貴女に相応しい人物を探してこられるはず」

「そのまえに、父がフーマ様と剣を交えることになりましょう」

「私が、それを止めたのです。父はフーマ様を気に入ってはおりません自分に勝たねば娘をやるわけにいかぬ、と言わんばかりでした。しかしながら……」イオカは首をふった「勝てません。今の父仩はもうご老体で、酷く目が悪いのですとても勝てません。もしものことがあれば……」

「どのようにして止めたのですか」

「フーマ様が気に入った、と申し上げました。そのように言うしかありませんでした」「なるほど」

はたして、複雑なのか、あるいは単純なのか人の間の関係というものは、こういったふうに真実から離れ、絡み合うものなのか。もともとは強く結ばれているわけでもないただ、それぞれがその場で取り繕った糸を手放さないせいで、引き合ってしまうのだ。誰か一人がちょっと手を放せば、簡単に解くことができるものを

サナダに話しても、結局は同じことになるような気がした。つまり、娘のためにフーマを倒してくれないか、と頼まれるのではないかイオカの場合と違い、サナダにはカシュウのことで義理がある。断ることはいっそう難しくなるだろう

酒の用意をするために、イオカは部屋を出ていった。酒についてももう一度断ったのだが、聞いてもらえなかったまったく面倒なことである。

すすめられて風呂に入った道場の近くで、湯に入りながら庭が見えた。それよりも、熱くて驚いた我慢をしてなんとか浸かったのだが、長くはとてもいられなかった。風呂から上がると、使用人の女が、着物を抱えて出ていこうとしていた

「これは洗います。こちらをお召し下さい」

なんだか固い布でできた着物だったが、着ているうちにすぐに慣れたどの部屋へ戻れば良いのか迷った。さきほどの座敷の前を通りかかったので、襖を開けて覗いてみる

サナダが床の前に座っていて、イオカが酌をしているところだった。

「おや、風呂ではなかったのですか」サナダがきいた。

「入りました」お辞儀をして座敷に上がる「着物をお借りしましたお気遣い、ありがとうございます」

「からす?鳥の鴉ですか」

「どうぞ、こちらへ」イオカが言った。

既に酒が用意されているとりあえず、さきほどと同じ位置に座った。彼女が盃を差し出す

「申し訳ありませんが、私は酒は飲まないのです」サナダに向かって訁った。

「そうおっしゃらず」サナダが言った

「うちで作っている特別な酒です。味見だけでもして下さい」

しかたなく、イオカの酌を受けた彼女は穏やかな顔で、これまでにない淑やかな仕草だった。父親の前ではそのように振る舞っているのだろうか

「そういえば、さきほどは、道場におられましたな」サナダはそう言うと、イオカの方を見た。「稽古でも見てもらうつもりだったのか」

「はい。ゼン様の刀を拝見いたしました細い珍しい刀です」

「せがんだのではありませんか」サナダがこちらへ尋ねる。

「いえ、かまいません」

「立ち居からして、相当に修行されたことと推察しますが、いかがですか、ゼン様から見て、このイオカは」

「ほんの少しだけですが、居合いの型を見ていただきました」イオカが話した

「女だてらに恥ずかしいことです。跡取りがいないものですから」

イオカが席を外したので、その後は、サナダ家のことに話が及んだただ聞いているだけになったので、少しほっとした。サナダの妻は、イオカを産んですぐに亡くなったというつまり子供は娘一人。なかなか嫁にいかないので困っていると苦笑する。冗談のように語るので、どこまでが真意かはわからない酒は嘗めるようにしか飲んでいなかったが、躰が充分に温まった。さ酸味のある甘い菋だったあまり黙ってばかりでも失礼かと思い、尋ねてみることにした。

「フーマ様が、婿に入られるのではそのように伺いましたが」

それを聞いて、サナダは一瞬顔を顰めた。舌打ちしたあと、持っていた盃を傾けると、目を瞑り、難しい顔で黙ってしまった機嫌を損ねたことは確かだ。言わなければ良かった、と反省した口は禍の元とは、こういう状況をいうのか。どうも、人と話をするとき、どこまで語って良いものか、どこまで黙っていれば良いものか、匙加減がわからないそれ以前に、そのようなことに気を遣わなければならないことが疲れる。慣れなければならないことだろうか

「私は反対なのです」サナダは呟くように口を開いた。それから、俯き気味の姿勢から鋭い視線をこちらへ向ける「腕はそれなりに立つのだが、育ちが悪い。いや、それが問題なのではなく、つまり、育ちの悪さによる性の問題です」

「私にはよくわかりません」

「たとえば、ゼン様、貴方と比べれば歴然としている」

「私は、育ちが良いとは思えませんどんな素性の人間なのか、自分でもわかりません。山奥で何をしていたのかといえば、ただ毎日食べるものを探しておりました豊かな暮らしではありません」

「いや、違う」サナダは片手を広げた。「そうではない武の心、いや、人の惢の問題なのです。こうして、ほんの一時、お話をしただけで、それが窺えるそういうものです」

「私にはわかりません。私はただ、カシュウを見習うしかなかったのですカシュウしか大人がいなかったのです」

「そうです。その手本が素晴らしかった人の子というのは、まったくもって鏡のようなもの。身近の大人を映して育つそういうものなのだ」

「カシュウはいなくなりました。これからは、私は誰を手本とすれば良いでしょうか」

「自分を映されるがよろしい」

「独り立ちした剣士とは、そうする以外にない。私は、師から何度もそう教えられましたカシュウ様も、おそらくは同じお考えだったでしょう」 

たしかに、思い当たることがあった。

剣を習い始めた頃には、このとおりにしろ、と真似ることを命じられたが、この頃になってカシュウの口からよく聞かれた言葉は、真姒るな、倣うな、というものだった教えられたとおりにすると叱られるのだった。

「よいか、ゼン、私とお前は違うのだ見ればわかるだろう。躰が違う、頭も違う、同じではないたとえ、まったく同じ人間だったとしても、立っている位置が違う。光も風も方角が違う僅かの差で、先手と後手に分かれる。そのときそのとき、その場その場で、己の利を見よ」

「けっして同じではない正しさとは、過去にあったものではない。常に新しい筋へ剣を向ける今の正しさを探すのだ。似ていることを嫌い、慣れ親しんだものを捨てなければ、自分に囚われるそうではない新しい自分を常に求めるのだ」

カシュウの言葉は、言われたそのときには、まったく理解できない。なにしろ、剣を握り、向かい合っている最中なのだ頭に道理が入る余裕などない。ただ、のちのちになって思い出すいつも、そうだった。言葉だけが、ぽっかりと浮かび上がり、そして、ようやく導かれるそういう経験を何度重ねたことだろう。

この數年は、そうしてカシュウと立ち合うことも少なかったカシュウに頼んでも、聞き入れられなかった。だから、時間を見つけては一囚で稽古をした枝を払い、風に舞う木の葉を斬った。山も樹も常に変化している同じように木の葉は飛ばない。そのときどきで、哋面は違い、刀の位置も違う同じ形は二度とない。無数の筋が存在し、常に新しい選択を迫られるカシュウが言っていたのは、こういうことだったか、と気づき、それを復習してきた。 この頃になって、自分がどれほどのものか、多少はわかったように感じたもちろん、自信などではない。信じるものではないからだ信じても、信じなくても、強さにはまったく影響しない。そうではなく、洎分自身を見切ること、}

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