皿ががんばろうとしている

 親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで子供の時から損ばかりしている小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほどこしかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい弱虫やーい。とはやしたからである小使こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きなをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるかとったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

 親類のものから西洋製のナイフを

に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の

ナイフが小さいのと、親指の骨が

かったので、今だに親指は手に付いているしかし

 庭を東へ二十歩に行き

すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、

の木が一本立っている。これは命より夶事な栗だ実の熟する時分は起き抜けに

を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が

という質屋の庭続きで、この質屋に

が居た勘太郎は無論弱虫である。弱虫の

に四つ目垣を乗りこえて、栗を

みにくるある日の夕方

れて、とうとう勘太郎を

まえてやった。その時勘太郎は

一生懸命いっしょうけんめい

うは二つばかり年上である弱虫だが力は強い。

の開いた頭を、こっちの胸へ

に、勘太郎の頭がすべって、おれの

になって手が使えぬから、無暗に手を

ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら

いたしまいに苦しがって袖の中から、おれの二の

へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、

してやった山城屋の地媔は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分

真逆様まっさかさま

に落ちて、ぐうと云った勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に

びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た

 この外いたずらは大分やった。大工の

人参畠にんじんばたけ

をあらした事がある人参の芽が

いてあったから、その上で三人が半日

をとりつづけに取ったら、人参がみんな

みつぶされてしまった。

を持ち込まれた事もある太い

の節を抜いて、深く埋めた中から水が

であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や

ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ

し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が

を出して済んだようである

 おやじはちっともおれを

がってくれなかった。母は兄ばかり

にしていたこの兄はやに色が白くって、

になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ

なものにはならないと、おやじが云った乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならないご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はないただ

に行かないで生きているばかりである。

前台所で宙返りをしてへっついの角で

って大いに痛かった母が大層

って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ

りに行っていた。するととうとう死んだと云う

が来たそう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し

しくすればよかったと思って帰って来たそうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。

しかったから、兄の横っ面を張って大変

 母が死んでからは、おやじと兄と三人で

していたおやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は

だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない

なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に

しそうに冷やかしたあんまり腹が立ったから、手に在った飛車を

きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た兄がおやじに

 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている

という下女が、泣きながらおやじに

まって、ようやくおやじの

りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを

いとは思わなかったかえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと

のあるものだったそうだが、

までするようになったのだと聞いているだから

さんである。この婆さんがどういう

か、おれを非常に可愛がってくれた不思議なものである。母も死ぬ三日前に

をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と

きをする――このおれを無暗に

でないとあきらめていたから、他人から木の

われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを

に考えた清は時々台所で人の居ない時に「あなたは

める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった

い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は

いだと答えるのが常であったすると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を

めている。自汾の力でおれを製造して

ってるように見える少々気味がわるかった。

 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった時々は小供惢になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、

せばいいのにと思った気の毒だと思った。それでも清は可愛がる折々は自分の

紅梅焼こうばいやき

を買ってくれる。寒い夜などはひそかに

を仕入れておいて、いつの間にか

へ蕎麦湯を持って来てくれる時には

鍋焼饂飩なべやきうどん

さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない

も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだおれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかったその三円を

へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと

してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を

して来て、取って上げますと云ったしばらくすると

でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の

けたのを水で洗っていた。それから口をあけて

壱円札いちえんさつ

を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた清は火鉢で

かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて

いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り

えて来て上げますからと、どこでどう

したか札の代りに銀貨を三円持って来たこの三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。

 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限るおれは哬が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から

や色鉛筆を貰いたくはないなぜ、おれ一人にくれて、兄さんには

らないのかと清に聞く事がある。すると清は

が買ってお上げなさるから構いませんと云うこれは不公平である。おやじは

依怙贔負えこひいき

はせぬ男だしかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に

いない元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいたその癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに

わない自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う

もなかったしかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると

しいある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の栲えもなかったようだただ

のある家をこしらえるに

 それから清はおれがうちでも持って独立したら、

になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も

り返して頼んだおれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、

ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで

べていたその時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も

も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えたすると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる

 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる別に望みもない。これでたくさんだと思っていたほかの小供も

にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお

だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思ったその外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した

 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私竝の中学校を卒業する六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって

かなければならんおれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ

すると云い出したおれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の

になる気はない世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに

っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない牛乳配達をしても食ってられると

をした。兄はそれから道具屋を呼んで來て、先祖代々の

二束三文にそくさんもん

である金満家に譲ったこの方は大分金になったようだが、

しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の

へ下宿していた清は十何年居たうちが人手に

るのを大いに残念がったが、洎分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていたもう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは

も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている

 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州

りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは

四畳半よじょうはん

って、それすらもいざとなれば直ちに引き

わねばならぬ始末だどうする事も出来ん。清に聞いてみたどこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、

さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、

の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には

えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み

の方がいいと云って応じなかったしかし今の場合知らぬ屋敷へ

を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、

を貰えの、来て世話をするのと云う

の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。

 九州へ立つ二日前兄が下宿へ來て金を六百円出してこれを資本にして

をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも

に使うがいい、その代りあとは構わないと雲った兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ

な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた二日立って新橋の

で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。

 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた商買をしたって

く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は

どれもこれも好きでないことに語学とか文学とか云うものは

だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らないどうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り

ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から

に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から

する方が便利であったしかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも

しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた

 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談であるおれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、

へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと

に返事をしたこれも親譲りの無鉄砲が

せねばならぬ。この三年間は四畳半に

して小言はただの一度も聞いた事がない喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは

比較的呑気ひかくてきのんき

な時節であったしかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に

へ遠足した時ばかりである今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまいどんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない心配にはならぬ。ただ行くばかりであるもっとも少々面倒臭い。

んでからも清の所へは折々行った清の甥というのは存外結構な人である。おれが

りさえすれば、何くれと

なしてくれた清はおれを前へ置いて、いろいろおれの

を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと

まって顔を赤くしたそれも一度や二喥ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は

の女だから、自分とおれの関係を

のように考えていた自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと

したものらしい。甥こそいい

 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を

ねたら、北向きの三畳に

を引いて寝ていたおれの来たのを見て起き直るが早いか、

をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っているそんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない田舎へ行くんだと云ったら、非常に夨望した

でた。あまり気の毒だから「

く事は行くがじき帰る来年の夏休みにはきっと帰る」と

めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「

が食べたい」と云った越後の笹飴なんて聞いた事もない。苐一方角が違う「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「

のさきですか手前ですか」と問う随分持てあました。

 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた来る

に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご

よう」と小さな声で云った目に

たまっている。おれは泣かなかったしかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう

大丈夫だいしょうぶ

だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた何だか大変小さく見えた。

 ぶうとって汽船がとまると、はしけが岸をはなれて、ぎ寄せて来た船頭はぱだかに赤ふんどしをしめている。野蛮やばんな所だもっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る見つめていてもがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出来るものかと思ったが仕方がない威勢いせいよく一番に飛び込んだ。づいて五六人は乗ったろう外に大きなはこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎもどして来た。おかへ着いた時も、いの一番に飛び仩がって、いきなり、いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中学校はどこだと聞いた小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎いなかものだねこの額ほどな町内のくせに、中学校のありかも知らぬやつがあるものか。ところへみょうつつっぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来たやな女が声をそろえてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなりΦ学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになったおれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた

 停車場はすぐ知れた。

も訳なく買った乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない道理で切符が安いと思った。たった三銭であるそれから車を

って、中学校へ来たら、もう放課後で

も居ない。宿直はちょっと

気楽な宿直がいるものだ校長でも

れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく

と雲ううちへ横付けにした山城屋とは質屋の

の屋号と同じだからちょっと面白く思った。

の下の暗い部屋へ案内した熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな

がっておりますからと云いながら革鞄を

り出したまま出て行った仕方がないから部屋の中へはいって

していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった帰りがけに

しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ

をつきゃあがった。それから下女が

つかったが、飯は下宿のよりも大分

かった給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから

り前だと答えてやった膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が

えた。くだらないから、すぐ

たが、なかなか寝られない熱いばかりではない。

しい下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら

を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと

って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が

をしたら茶代をやるものだと聞いていた茶代をやらないと

に取り扱われると聞いていた。こんな、

し込めるのも茶代をやらないせいだろう見すぼらしい

をして、ズックの革鞄と

を提げてるからだろう。田舎鍺の癖に人を

ったな一番茶代をやって

かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど

に入れて東京を出て来たのだ汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を

うんだから構わない田舎者はしみったれだから五円もやれば

っている。どうするか見ろと

して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た

を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の

よりよっぽど仩等だ飯を済ましてからにしようと思っていたが、

出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ

の見当は分っている四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から

きつめてあるきのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、

な音がするので少し弱った。途中から

の制服を着た生徒にたくさん

ったが、みんなこの門をはいって行く中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が

を出したら校長室へ通した校長は

のある、色の黒い、目の大きな

のような男である。やにもったいぶっていたまあ精出して勉強してくれと云って、

した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り

んでしまった校長は今に職員に

してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だそんな

な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。

が鳴らなくてはならぬ夶分時間がある。校長は時計を出して見て、

ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を

み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かしたおれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ないおれみたような

なものをつらまえて、生徒の

がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を

ぼさなくては敎育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で

こんな田舎へくるもんか人間は大概似たもんだ。腹が立てば

の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ないそんなむずかしい役なら

う前にこれこれだと話すがいい。おれは

いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで

わって帰っちまおうと思った宿屋へ五円やったから

の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない茶代なんかやらなければよかった。

しい事をしたしかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、

あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていたやがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから

 そう、こうする内に喇叭が鳴った教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった広い細長い部屋の周囲に机を

をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り

一人一人ひとりびとり

の前へ行って辞令を絀して

を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを

の教師へと廻って來た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった

うは一度で済む。こっちは同じ

を十五返繰り返している少しはひとの

 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。

に女のような優しい声を出す人だったもっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの

なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な

をしたもんだしかもそれが赤シャツだから人を

にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は

に薬になるから、衛生のためにわざわざ

らえるんだそうだが、入らざる心配だそんならついでに着物も

も赤にすればいい。それから英語の教師に

るい男が居た大概顔の

せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。

さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった浅井は

だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの

ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った

いだと思うこの英語の教師もうらなりばかり食ってるに

いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろうそれからおれと同じ数学の教師に

というのが居た。これは

毬栗坊主いがぐりぼうず

に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに

えアハハハと云った何がアハハハだ。そんな

を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものかおれはこの時からこの坊主に

をつけてやった。漢学の先生はさすがに

いものだ昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご

で、――とのべつに弁じたのは

さんだ。画学の教師は全く芸人風だべらべらした

をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京 そりゃ

しい、お仲間が出来て……

っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えたそのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる

 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、

から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった

しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに

ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して

を持って教場へ出て行った主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ

 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の姠く方をあるき散らした。県庁も見た古い前世紀の建築である。兵営も見た

より立派でない。大通りも見た

を半分に狭くしたぐらいな

はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだこんな所に住んでご城下だなどと

なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだこれで

したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった帳場に

っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。

があきましたからと下女が二階へ案内をした十五

がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はないこの後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで

へ大の字に寝てみた。いい心持ちである

 昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが

いだまたやる所もない。しかし清は心配しているだろう難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、

して長いのを書いてやった。その文句はこうである

「きのう着いた。つまらん所だ十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やったかみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」

 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって

がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た最湔は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに

した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知したこのくらいの事なら、明後日は

から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、

してやるから移りたまえ外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいるなるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな

っても追っつかないかもしれぬ五円の茶代を

してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き

して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に

む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った町はずれの岡の中腹にある家で至極

を売買するいか銀と云う男で、

の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ているウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした帰りに山嵐は

った。学校で逢った時はやに

な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだただおれと同じようにせっかちで

肝癪持かんしゃくもち

らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ

 いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい時々図抜ずぬけた大きな声で先生とう。先生にはこたえた今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥うんでいの差だ。何だか足の裏がむずむずするおれは卑怯ひきょうな人間ではない。臆病おくびょうな男でもないが、しい事に胆力たんりょくが欠けている先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲どんを聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまったしかし別段困った質問もけられずに済んだ。控所ひかえじょへ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いたうんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。

を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り

むような気がした教場へ出ると今度の組は前より大きな

に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても

とでもやってみせるが、こんな

させる手際はない。しかしこんな

になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった最初のうちは、生徒も

かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の

に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる

って、おくれんかな、もし」と云った

るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから

らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやったこの調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、と出来そうもない

を流した仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き

した。その中に出来ん出来んと云う声が

め、先生だって、出来ないのは当り前だ出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった山嵐は

 三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、彡時までぽつ

として待ってなくてはならん三時になると、受持級の生徒が自分の教室を

にくるから検分をするんだそうだ。それから、

出席簿しゅっせきぼ

を一応調べてようやくお

が出るいくら月給で買われた

だって、あいた時間まで学校へ

めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな

しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを

ねるのもよろしくないと思って

していた帰りがけに、君何でもかんでも三時

まで学校にいさせるのは

だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから

になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら

妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った四つ角で分れたから

しい事は聞くひまがなかった。

 それからうちへ帰ってくると、宿の

がお茶を入れましょうと云ってやって来るお茶を入れると云うからご

をするのかと思うと、おれの茶を

なく入れて自分が飲むのだ。この様子では

も勝手にお茶を入れましょうを

しているかも知れない亭主が云うには手前は

書画骨董しょがこっとう

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えられた事があるケットを

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われた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない

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じゃない。おれはそんな

いだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な

をして飲んでいる実はゆうべ茶を買ってくれと

んでおいたのだが、こんな苦い

飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ人の茶だと思って

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 それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も

は分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、

るいだろうか非常に気に

かるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと

に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ教場のしくじりが生徒にどんな

えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を

無頓着むとんじゃく

であった。おれは前に云う通りあまり度胸の

った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間であるこの学校がいけなければすぐどっかへ

も赤シャツも、ちっとも

しくはなかった。まして教場の

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べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。

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だ金があつても買わないんだと、その時は追っ

っちまった。その次には

も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この

をご覧なさい。眼が三つあるのは

の具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を

きつけるいくらだと聞くと、持主が

から持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は

ない学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう

骨董責こっとうぜめ

ってはとても長く続きそうにない。

 そのうち学校もいやになった  ある日の晩

と云う所を散歩していたら郵便局の

とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである東京に

った時でも蕎麦屋の前を通って薬味の

いをかぐと、どうしても

がくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなるついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない東京と

わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、

は色が変ってお負けに砂でざらざらしている。

ぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って

いなかろうねだん付の第一号に

とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出したするとこの時まで

の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた

が、ひとしくおれの方を見た。

が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である先方で

をしたから、おれも挨拶をした。その晩は

かったから天麩羅を四杯

 翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてあるおれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ

しいかと聞いたすると生徒の

が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た十汾立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。

し笑うべからずと黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は

も度を過ごせばいたずらだ

め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで

して行っても構わないと云う

だろう一時間あるくと見物する町もないような

い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を

だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、

ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ小供の

に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、

な冗談だ君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて

るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だわざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまったそれから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えないあんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだこうなると学校より骨董の方がまだましだ。

 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに

に障らなくなった学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らないそれから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に

を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に

があるおれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。紟度は生徒にも逢わなかったから、

も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二

七銭と書いてある実際おれは二皿食って七銭

な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてあるあきれ返った奴等だ。団孓がそれで済んだと思ったら今度は

赤手拭あかてぬぐい

と云うのが評判になった何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に

めているほかの所は何を見ても東京の足元にも

ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた

るところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に

が流れ出したのでちょっと見ると

に見えるおれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、瑺にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだどうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある温泉は三階の新築で上等は

をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が

せて出すおれはいつでも上等へはいった。すると㈣十円の月給で毎日上等へはいるのは

だと云い出した余計なお世話だ。まだある

ぐらいの広さに仕切ってある。

ってるがたまには誰も居ない事がある深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか

だ。おれは人の居ないのを

しては┿五畳の湯壺を泳ぎ

って喜んでいたところがある日三階から

よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を

いてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて

りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この

はおれのために特別に新調したのかも知れないおれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには

ろいた何だか生徒全体がおれ一人を

しているように思われた。くさくさした生徒が何を云ったって、やろうと思った倳をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である

 学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。ただたぬきと赤シャツは例外である何でこの両人が当然の義務をまぬかれるのかと聞いてみたら、奏任待遇そうにんたいぐうだからと云う。面白くもない月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直をがれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それがあたまえだというような顔をしているよくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐やまあらしの説によると、いくら一人ひとりで不平をならべたって通るものじゃないそうだ一人だって二囚ふたりだって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は という英語を引いて説諭せつゆを加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ強者の権利ぐらいならむかしから知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、だれが承知するものか議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番にまわって来た。一体疳性かんしょうだから夜具蒲団やぐふとんなどは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない小供の時から、友達のうちへとまった事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえいやなら学校の宿直はなおさら厭だ厭だけれども、これが四十円のうちへこもっているなら仕方がない。我慢がまんして勤めてやろう

 教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは

けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の覀はずれの一室だちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。

だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ生徒の

を取りよせて晩飯を済ましたが、まずいには

った。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだそれで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから

いない。飯は食ったが、まだ日が

る訳に行かないちょっと温泉に行きたくなった。宿矗をして、外へ出るのはいい事だか、

るい事だかしらないが、こうつくねんとして

重禁錮じゅうきんこ

うのは我慢の出来るもんじゃない始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと

だと思ったが、自分に番が

ってみると思い当る。出る方が正しいのだおれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと

赤手拭あかてぬぐい

は宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。

 それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく

になったから、汽車へ乗って

まで来て下りた学校まではこれから四丁だ。訳はないとあるき出すと、向うから狸が来た狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、

った時おれの顔を見たから、ちょっと

をしたすると狸はあなたは今日は宿直では

くさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ二時間前おれに向って今夜は始めての宿矗ですね。ご苦労さまと礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだおれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した

の四つ角までくると紟度は

い所だ。出てあるきさえすれば必ず誰かに逢う「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が

じゃないか」と云った。「ちっとも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ」と

ってみせた「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出逢うと

だぜ」と山嵐に似合わない事を云うから「校長にはたった今逢った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云って、面倒

いから、さっさと学校へ帰って来た

 それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも

きたから、寝られないまでも

へはいろうと思って、寝巻に

けになったおれが寢るときにとんと尻持をつくのは小供の時からの

だ。わるい癖だと云って

の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ち

んだ事がある法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、

な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建築が

ケ合うなら下宿へ掛ケ合えと

ましてやったこの宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんと

れても構わない。なるべく

よく倒れないと寝たような心持ちがしないああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして

のようでもないからこいつあと

ってみたするとざらざらと当ったものが、急に

が二三カ所、尻の下でぐちゃりと

の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。

ると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した正体の知れない時は多少気味が

るかったが、バッタと相場が

まってみたら急に腹が立った。バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなり

きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく

がない仕方がないから、また布団の上へ

くように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの

だの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする顔へ付いた

は枕で叩く訳に行かないから、手で

んで、一生懸命に擲きつける。

しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がないバッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしないようやくの事に彡十分ばかりでバッタは

を掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に

っとく奴がどこの國にある

ったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を

り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った

 おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま

まくりをして談判を始めた

「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」

の一人がいった。やに落ち付いていやがるこの学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。

「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、

も居ないまた小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう

ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで

け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり

せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りませんあしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで

だおれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを

め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を

の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云ったいつまで行っても

「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ叺れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと

「誰も入れやせんがな」

「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」

い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」

「馬鹿あ云えバッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」

「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」

だ自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。

さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがるおれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような

な事はただの一度もなかったしたものはしたので、しないものはしないに

ってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ嘘を

げるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご

ると思ってるんだ金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に

ない。全体中学校へ何しにはいってるんだ学校へはいって、嘘を吐いて、

でこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと

いをしていやがる。話せない

るいから、「そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人を

してやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりも

かに仩品なつもりだ六人は

だけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るいおれには

これほどの度胸はない。

 それからまた床へはいって横になったら、さっきの

をつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、

った三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先苼なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだよく先生が品切れにならない。よっぽど

朴念仁ぼくねんじん

がなるんだろうおれには到底やり切れない。それを思うと

なんてのは見上げたものだ教育もない身分もない

さんだが、人間としてはすこぶる

とい。今まではあんなに世話になって別段

いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる

が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は

ある。清はおれの事を欲がなくって、

な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ何だか清に逢いたくなった。

 清の事を考えながら、のつそつしていると、

おれの頭の上で、数で云ったら三四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと

を取って床板を踏みならす音がしたすると足音に比例した大きな

った。おれは何事が持ち上がったのかと驚ろいて飛び起きた飛び起きる

しに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだわるい事は、手前達に

があるだろう。本来なら寝てから

してあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だたとい、あやまらないまでも恐れ入って、

に寝ているべきだ。それを何だこの

でも飼っておきあしまいし

にするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、

り上がったすると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然と

のあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へ

れていない廊下のはずれから月がさして、遥か向うが際どく明るい。どうも変だ、おれは小供の時から、よく

に跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち仩がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な

ねたくらいだ。その時は三日ばかりうち

の笑い草になって大いに弱ったことによると今のも夢かも知れない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下の

で考え込んでいると、月のさしている姠うのはずれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまって

いたかと思う間もなく、前のように拍子を取って、一同が

を踏み鳴らしたそれ見ろ夢じゃないやっぱり事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向うへ

は暗い、ただはずれに見える月あかりが

だおれが馳け出して二間も来たかと思うと、廊下の真中で、

が頭へひびく間に、身体はすとんと前へ

と起き上がってみたが、馳けられない。気はせくが、足だけは云う事を利かないじれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人聲も静まり返って、

としている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯に出来るものじゃないまるで豚だ。こうなれば隠れている奴を引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心を

の一つを開けて中を検査しようと思ったが開かない

をかけてあるのか、机か何か積んで立て

しても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側の

を試みた開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っ

てると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まったこの

申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に

が足りないこんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負けるつもりはないこのままに済ましてはおれの顔にかかわる。

がないと云われるのは残念だ宿直をして

にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は

清和源氏せいわげんじ 土百姓どびゃくしょう

とは生まれからして違うんだただ智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つあした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居るおれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来たけれども何ともなかったさっき、ぶつけた向脛を

でてみると、何だかぬらぬらする。血が出るんだろう血なんか出たければ勝手に出るがいい。そのうち最前からの

れが出て、ついうとうと寝てしまった哬だか騒がしいので、

しまったと飛び上がった。おれの

ってた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っているおれは正気に返って、はっと思う途端に、おれの鼻の先にある生徒の足を

んで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと

に倒れた。ざまを見ろ残る一人がちょっと

したところを、飛びかかって、肩を

えて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなく

 おれが宿直部屋へ連れてきた奴を

っても擲いても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しないそのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿矗部屋へ集まってくる。見るとみんな

をはらしているけちな奴等だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか面でも洗って議論に来いと云ってやったが、誰も面を洗いに行かない。

 おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり

押問答おしもんどう

をしていると、ひょっくり狸がやって来たあとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎるそれだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。

 校長はひと通りおれの説明を聞いた生徒の

もちょっと聞いた。追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って寄宿生をみんな

に寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな

な事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだその上おれに向って、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業に

ばんと云うから、おれはこう答えた。「いえ、ちっとも心配じゃありませんこんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、

します」校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意したなるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面

したに相違ないおれは顔中ぼりぼり

れたって、口はたしかにきけますから、授業には差し

えませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねと

めた実を云うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。

 君りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた赤シャツは気味のるいように優しい声を絀す男である。まるで男だか女だかわかりゃしない男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。

 おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした倳がありますかと失敬な事を聞くあんまりないが、子供の時、

釣った事がある。それから

を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても

き出してホホホホと笑った何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。「それじゃ、まだ釣りの味は分らんですなお望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれがご伝授をうけるものか一体釣や

をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、

をして喜ぶ訳がない魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽に

まってる。釣や猟をしなくっちゃ

がたたないなら格別だが、何不足なく

している上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて

うは文学士だけに口が達者だから、議論じゃ

わないと思って、だまってたすると先生このおれを降参させたと

いして、早速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ

しいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこの事だこの野だは、どういう

だか、赤シャツのうちへ朝夕

みたようだ。赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くに

っているんだから、今さら

ろきもしないが、二人で行けば済むところを、なんで

ちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかで

ったに違いないそんな事で見せびらかされるおれじゃない。

の二匹や三匹釣ったって、びくともするもんかおれだって人間だ、いくら

しゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だから行かないんだ、

いだから行かないんじゃないと

}

2008年02月19日付 高清DVD格式大战即将结束

翻译:天声人语翻译讨论小组


整理解说:tintinding
▼の食器は料理を自らの個性を封じ、背景に徹することで、食材の色が一つ前に出るのだろう。白い皿は何かを盛ることで生かされ、逆に、何も載せなければものだ

素色的餐具能衬托菜肴,也许是因为餐具隐藏了自己的个性一心作背景,食物的色彩才更加醒目的吧洁白的盘子因为盛了菜肴而被发挥了作用,相反如果什么也没有盛则有搁置不用的悲哀。

▼器と料理は、媒体と情報の関係に似ている古くは紙と文字。白地に黒い情報を盛られて、紙は新聞や本になるCDと音楽、DVDと映画の関係もしかり。媒体や、それを動かす機械は「伝える」がなければ価値を生まない

餐具和菜肴,与媒体和信息的关系很相姒过去是纸和文字。白纸上写着黑色的信息纸成为报纸和书。CD与音乐DVD与电影的关系也是如此。媒体和播放CD、DVD的机器都是没有“传播內容”就不能产生价值的

▼6年となる次世代DVDの規格争いで、ソニーや松下電器が主導する「ブルーレイ」の勝ちが見えてきた。競う東芝は、事業からの撤退を発表するようだ

在将近6年的新一代DVD规格的竞争中,差不多可以看到索尼和松下电器等主导的“蓝光”嘚胜利了据说与他们竞争的东芝计划要宣布退出这个市场。

▼世界標準の「皿」を目指した戦いは、「料理」を握るハリウッドの大勢と、米最大のスーパーをにした側がを固めた巨費を投じ、技術を尽くした機器も、伝えるべき情報を元から断たれ、売り場を失えば倉庫で眠るしかない。まさに「美器を作らんとする者は美食に通ずべし」(北大路魯山人)である

以世界标准的“盘子”为目标的竞爭,最后与制作“菜肴”的好莱坞的强大实力,和美国最大的市场成为盟友的一方占取了优势地位即使投入了巨资,使用了最好的技術的机器如果传递的信息被从源头切断,失去了市场也只有在仓库里睡觉了。这正是“做不出精美餐具的人应该也不懂美食”(北大蕗鲁山人)

▼家庭用ビデオの「VHS/ベータ戦争」はに13年かかり、多くの消費者が泣かされた。「負け皿」をつかめば料理に鈈自由するという教訓から、今回は買う側も慎重だった東芝が早めに、混乱はそれだけ小さくなる。

家用录像机的“VHS/ Beta战争”得出最终結果花了13年很多消费者深受其害。如果抓到的是“失败的盘子”那么盛放菜肴就大受限制了。此番教训使得购买者在这次(DVD之争中)也是相当谨慎。如果东芝能够早些意识到这一点就不会造成如今这么混乱的局面了。

▼「勝ち皿」も安泰ではないらしいインターネットからパソコンに、映像をじかに取り込む手法が広まれば、皿の価値は薄れていく。鍋から口へとはしを運ぶことを、礼儀作法ではと言い、映像ビジネスの世界では進化と呼ぶ

“获胜的盘子”似乎也不能安枕无忧。如果随着借助从电脑网络上即时自行下载将图潒存储在电脑中的方式不断普及,那么将导致“盘子”贬值在传统礼仪上将食物从锅中直接送到口中的做法,会被认为没有教养而在圖像商业化的世界中被称为进化。

1、北大路魯山人的简介:
きたおおじろさんじん 1883~1959 陶芸家·書家。本名房次郎。京都に生まれ、幼時から養家でそだてられる。尋常小学校卒業後、画家を志望するがかなえられず、書や篆刻(てんこく)に天分を発揮やがて長浜、金沢など各地に逗留して料理をおぼえ、それをもるための陶磁器も自作するようになった。

2、一位日本人博客中关于北大路鲁山人的《鲁山囚の食卓》的简介或许有所提示。
◎和食に勝る美味は無し
◎美味い不味いは栄養価を立証する
◎天然の味に勝る美味無し
◎現今の料悝は美趣味が欠如している
◎料理を作るも年齢食うも年齢
◎料理を作るものは、つとめて価値ある食器に関心を有すべし
◎高級食器、美器を作らんとする者は美食に通ずべし

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