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なんじょうゆう
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清凉作品——小仓百人一首汉诗翻译全集
1、秋の田の&
かりほの庵の&
わが衣手は&
露に濡れつつあきのたの かりほのいほの
とまをあらみわがころもてはつゆにぬれつつ(1)秋の田の:「秋の」中的「の」是格助词,表示所属,相当于「のうちの」。「田の」「の」则表示所在,相当于「にある」。「秋の田
の」意即「秋のうちの田にある」。(2)かりほ:「かりほ」是挂词(谐音双关),可以理解为「刈り穂」,也可以理解为「仮庵(かりほ)」是「仮庵(かりいほ)」的省略读
法,指在秋天为了方便收割稻谷而在田边搭建的临时茅屋(草庵)。「ほ」是历史假名,相当于口语的「お」。因此「かりほ」应读为「かり
お」,「いほ」应读为「いお」。(3)苫を荒み:『体言+間投助詞「を」+形容詞詞幹+接尾詞「み」』是文语惯用型,表示原因和理由。相当于口语的「…が…ので」、「
…が…のために」。「苫を荒み」意即「苫(の編み目)が粗いので」。
(4)わが衣手は:「わ」即「我」,第一人称代词。「が」表示所有,相当于「の」。「衣手」意为衣袖。「は」是提示助词,用法与口语相
同。(5)露に濡れつつ:「濡れ」是「濡る」(ラ下二)的连用形。「つつ」是接续助词,接动词、助动词连用形后表示动作或状态继续进行,意
为不断。「つつ」在此用于句末,表示感叹的心情。
秋收稻岸宿,
过夜搭茅屋。
露浸湿衣袖,
原来苫太疏。
哈哈 有点打油的五绝 有点白
2、春過ぎて&
夏きにけらし&
衣ほすてふ& 天の香具山
はるすぎてなつきにけらし
しろたへのころもほすてふあまのかぐやま——持统天皇(1)春過ぎて:「春」是主语,下面省略了主格助词「が」。「過ぎて」是「過ぐ」(ガ上二)的连用形。「春すぎて」意即「春が過ぎて(
それから…)」。(2)夏きにけらし:「き」是カ变动词「来」的连用形。「にけ」是「にける」的简缩。「にける」是连语,由完了助动词「ぬ」的连用形「
に」+过去回想助动词「けり」的连体形「ける」组成。「にける」意即「てしまった」。「らし」是推量助动词,相当于「らしい」。「に
けるらし」简缩为「にけらし」。「夏きにけらし」意即「夏がきてしまったらしい」。「らし」是终止形,所以此歌应在此断句。
(3)白妙の:「白妙」是和歌中常用的枕词,表示象征,多冠于「雲?雪」等白色景物之前。但此歌中的「白妙」不是枕词,而是用其原意,
即白衣、白布。(4)衣ほすてふ:「ほす」是「干す」(サ四)的终止形。「てふ」是连语,即「という」之变音,但要注意「てふ」是历史假名,在朗诵时
应读作「ちょう」。「衣ほすてふ」意即「衣をほすと言い伝えられている」。(5)天の香具山:「の」表示所在,即「にある」之意。「香具山」位于奈良县橿原市东部,据传是神话时代从天上降下的神山。故称为「天
の香具山」。
& 香具山光好,
谁家晾素衣。
&& 夏风吹袖满,
不必唤春归。(五绝)
3、あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
あしびきのやまどりのおの しだりおの ながながしよを
ひとりかもねむ——柿本人麻吕(1)あしびきの:「あしびきの」是枕词,冠于特定词之前,用以修饰或调整语调,增添文雅优美之感。视其含义,可译可不译。「あしびき
の」意为「足引きの」,即“拖着双腿”。《万叶集》写为「あしひきの」,但平安时代后演变为「あしびきの」。
(2)山鳥の尾のしだり尾の:本句有三个「の」。第一个「の」是连体格助词,表示所有,与口语同。第二个「の」是表示同格的格助词,可
以理解为口语的「で」。第三个「の」是连用格助词,表示比喻,相当于「のように」。「しだり尾」即“垂下的尾巴”。「山鳥」是一种雉
科鸟类,也可以理解为就是雉。「山鳥の尾のしだり尾の」意即“雉鸡垂下的(长长的)尾巴”。此歌前三句「あしびきの山鳥の尾のしだり
尾の」是第四句「ながながし」的序词。序词是指在构成和歌中心的某一词之前,添加一段较长的定语,用以描述背景、制造气氛,或调整音
节。这是和歌中常用的一种修辞手法。(3)ながながし夜を:「ながながし」是形容词「ながながしき」的简缩,为了达成七音节,而省略了末尾一个音节。「ながながし」是叠词
,表示程度之甚,即「非常に長い」。(4)ひとりかも寝む:「か」是系助词,表示不确定。「も」也是系助词,表示感动和咏叹。「かも」也可看做一个词,即「だろうかな」的
意思。「寝む」中的「む」是推量助动词,相当于「だろう」。「ねむ」也可以认为是挂词,即谐音双关,有「合歓(ねむ)」、「眠(ねむ
)」之意。系助词「か」,要求与之相应「寝む」以连体形结尾,这在日语文言中称为系结规则,即系助词「ぞ」、「なむ」、「や」、「か
」添加于句中时,相应的活用词要以连体形结尾。
空房唯孤影,
相伴数流光。
多少未眠夜,
& 谁怜更漏长?(五绝)
4、田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
たごのうらうちいでてみれば しろたへの
ふじのたかねにゆきはふりつつ——山部赤人(1)田子の浦に:「田子の浦」是地名,也可写为「田児の浦」,古代的「田子の浦」在富士川西岸蒲原等地的海边,即本歌所咏之地。而现
在的「田子の浦」则在富士川东岸的富士市,与本歌所咏之地不同。(2)うち出でて見れば:「うち」是接头词,强调「出でて」的动作。「出でて」是ダ行下二段动词「出づ」的连用形。「見れば」是マ行上
一段动词「見る」的已然形+接续助词「ば」,含义与现代语相同。(3)白妙の:「白妙」在和歌中常用作枕词,但在这里应该不是枕词。因为「白妙」不能冠于「富士」之前。这里应解释为原意「白い色の」
。(4)降りつつ:「降り」是ラ行四段动词「降る」的连用形。「つつ」是接续助词,表示动作反复进行,在和歌中往往用于句末表示感叹。
田子浦前抬望眼&
且看富士雪纷纷
看(平韵)
5、奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき
/猿丸大夫&
(おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき)
译为:(七绝)
奥山秋意染红林,鸣鹿声声悲不禁。
我自驻足空感慨,凭谁安慰寂寥心?
6、かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける
(中納言家持)
译为:(五绝)
飞桥渡鹊影,霜白楚天高。
夜尽山腰处,明夕拟再招。
7、わが庵は、都の辰巳、しかぞ住む、世をうぢ山と、人はいふなり
わがいほは、みやこのたつみ、しかぞすむ、よをうぢやまと、ひとはいふなり——喜撰法师
(1)わが庵は:这句比较容易理解。其中「庵」是对自己住处的谦称。
(2)都の辰巳:「都」指京都。在古代的阴阳学中,常用天干地支来表示方位,其中「辰巳」表示东南。「都の辰巳」即京都东南。&
(3)しかぞ住む:「しか」即「然」,相当于口语的「そのように」,与汉语文言文中的“然”同义。也有人认为「しか」是「鹿」,这样虽
然也可以解释得通,但终究与后面的「世をうぢ山」有不协调之感。「ぞ」是系助词,「住む」是连体形,两者是系结关系。关于系结规则,
前面的《(三)柿本人麻吕》中已经介绍过,是指出现「ぞ」、「や」等系助词时,后接的用言要变为连体形与之照应,表示强调。&
(4)世をうぢ山と:此歌后两句历来号称“难解”,自古以来无数注释者为此争论不休。通行的解释认为,「世をうぢ山と」是挂词,即谐音
双关,其中的「うぢ」既表示「憂じ」,又表示「宇治」,所以此句完整的含义应为「世を憂しとして、宇治山に住む」。宇治山位于今天京
都府宇治市东部,是日本名山。「と」表示引用,是后句「いふ」的内容。&
(5)人はいふなり:「いふ」是历史假名,实际上是「いう」。「なり」是表示传闻、推定的助动词。这一句的意思是“我听别人都这样说”
,言外暗含了一句 “我却不这样认为”。
结庵自在京东南,
何必云云宇治山。
(暗含“结庐在人境,而无车马喧。问君何能尔?心远地自偏。”之意)
8、あまの原、ふりさけ見れば、春日なる、三笠の山に、いでし月かも&
あまのはら、ふりさけみれば、かすがなる、みかさのやまに、いでしつきかも——安倍仲麻吕&
(1)天の原:「原」表示广阔之意,「天の原」即“广阔的天空”。
(2)ふりさけ見れば:「ふり」是具有强调含义的接头词,也写为「振り」,现代日语中也还有很多以「振り」开头的词汇。「さけ見れば」
意为抬头远望,「さけ」即「放け」。&
(3)春日なる:「春日」是指奈良的春日神社,其读法较为特殊,读为「かすが」,而非「はるひ」或「しゅんじつ」,如果读为「しゅんじ
つ」,则表示春天的太阳。「なる」是表示判断的助动词「なり」的连体形,意为“所在”。
(4)三笠の山に:「三笠の山」奈良市东部的名山,也称若草山。(5)いでし月かも:「いで」是ダ行下二段动词「いづ」的连用形。「し」是表示回想的助动词「き」的连体形,修饰「月」。「いでし月か
も」意即口语的「出た月」。「かも」是表示咏叹的终助词。
心驰千万里,
身在异国边。
今日长安月,
犹如三笠山。
9、花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
易褪花容人易老,綿綿苦雨吾身抛。
10、これやこの、行くも帰るも、別れては、知るも知らぬも、あふ坂の関これやこの、ゆくもかえるも、わかれては、しるもしらぬも、あふさかのせき
(1)これやこの:「これ」是指逢坂关。「や」是间投助词,表示感叹,相当于汉语的语气助词“啊”、“呀”之类,以楚辞喻之,就是“兮
”。「この」修饰最后的「逢う坂の関」。这首和歌使用了「体言止め」的手法,全歌的架构是「これや、この&&&&逢う坂の関」,中间
三句都是最后的「逢う坂の関」的定语。(2)行くも帰るも:「行く」、「帰る」都是动词连体形,后面省略了要修饰的中心词「人」。「行く」指从京都出关往东,「帰る」指从东
方过关回到京都。
(3)別れては:「別れ」与「逢う坂の関」中的「逢う」相对,在这种相对的关系之下,表达出对希望与现实之间巨大反差的无奈。
(4)知るも知らぬも:「知る」、「知らぬ」都是动词连体形,后面省略了「人」,句式和第二句一样。
(5)あふ坂の関:即「逢う坂の関」,是逢坂山上的关隘。逢坂山又名手向山,因山腰上有两条坂道交叉会合,故名“逢坂”。逢坂关位于现
在京都府与滋贺县的交界处,是从京都往东国的必经之地。壬申之乱时,大友皇子与大海人皇子曾在逢坂关展开激烈决战。在古代,近江逢坂
关、伊势铃鹿关、美浓不破关合称为“三关”。
古今多少悲欢事,逢坂关前知不知?
11、わたの原、八十島かけて、漕ぎ出でぬと、人には告げよ、あまの釣り船&
わたのはら、やそしまかけて、こぎいでぬと、ひとにはつげよ、あまのつりぶね
(1)わたの原:即大海之意。是海的文学化说法。(2)八十島かけて:「八十島」指很多的岛屿。濑户内海有部分航段岛屿众多,暗礁潜伏,十分险恶。「八十」当然是虚指。「かけて」下二
段活用动词「掛く」的连用形。「掛く」是个多义词,在这首和歌中是“向某地出发”的意思。
(3)漕ぎ出でぬと:「漕ぎ出で」是ダ行下二段活用动词「漕ぎ出づ」的连用形。「漕ぐ」本来是摇橹的意思,后接「出づ」,意为开船出发
。「ぬ」是完了助动词。「と」是表示引用的助动词。前三句都是「告げ」的内容。(4)人には告げよ:「人」是指京都的家人、亲友。「告げ」ガ行下二段活用动词「告ぐ」的命令形,表示强烈的请求和祈使。「告げ」的内
容就是「と」前的三句。「よ」是感叹词。
(5)あまの釣り船:「あま」写成汉字为「海人」或「海士」,意即渔夫。「釣り船」即渔船。
我向茫茫岛上行,生涯从此类浮萍。
孤舟一棹成千里,借语渔夫告友朋。
12、天つ風、雲の通ひ路、吹き閉ぢよ、をとめの姿、しばしとどめむ
あまつかぜ、くものかよひぢ、ふきとぢよ、をとめのすがた、しばしとどめむ
(1)天つ風:「つ」是古代的格助词,相当于「の」。「天つ風」即「天の風」。
(2)雲の通ひ路:云彩飘行的路,即仙人升天之路。(3)吹き閉ぢよ:「吹き閉ぢ」是ダ行上二段动词「吹き閉づ」的命令形。「よ」是感叹词。
(4)をとめの姿:「をとめ」写成汉字是「乙女」或「少女」。联系上两句来看,是将跳舞的少女比喻为仙女。&
(5)しばしとどめむ:「しばし」是副词,意为暂时、片刻。「とどめむ」是マ行下二段动词「とどむ」的未然形,「む」是表示愿望的推量
助动词,相当于口语中的「たい」、「よう」、「つもりだ」之类。
舞姬美也哉,
犹似九天来。&&
但使风云归路断,&
仙姿长驻在凡间。
013.筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
筑波岭下飞流涌,多少相思赴忘川。
14、陸奥の、しのぶもぢずり、誰ゆゑに、乱れそめにし、われならなくに
みちのくの、しのぶもぢずり、たれゆえに、みだれそめにし、われならなくに&
(1)陸奥の:陆奥是地名,相当于现在日本的东北地区的东部。(2)しのぶもぢずり:「しのぶ」即「信夫」,福岛一带的地名。「もぢずり」为「信夫」出产的一种「摺り衣」,这种衣服是先将各种草汁
涂在石头表面,然后再将白绢铺在上面来染出衣纹,所以衣纹是没有规律的乱纹。(3)誰ゆゑに:「ゑ」是历史假名,即「え」。「ゆゑに」写为汉字为「故に」,这一句实际上是疑问语气,可以理解为省略了一个「か」。
(4)乱れそめにし:「そめ」是挂词,即谐音双关,即可写为「染め」,也可写为「初め」。「に」是完了助动词「ぬ」的连用形。「し」是
表示过去的助动词「き」的连体形。「にし」意为「てした」。这一句连同上两句的意思是“陆奥信夫所产的折衣的花纹,是为了谁才变得这
么缭乱呢?”(5)われならなくに:「なら」是断定助动词「なり」的未然形。「なく」是打消助动词,表示否定。「に」是接续助词,表示逆接,相当于
「けれども」之类。这一句意思较为曲折隐晦,初读下来不容易理解。要联系前一句的「誰ゆゑに」来理解,为了谁,不是为了我,后面省略
了“而是为了你”这一句。
衣纹缭乱缘何故,心绪斑驳只为卿。
15、君がため、春の野に出でて、若菜摘む、わが衣手に、雪は降りつつ
&きみがため、はるののにいでて、わかなつむ、わがころもでに、ゆきはふりつつ
(1)君がため:「が」即「の」。
(2)春の野に出でて:「春の野」指初春的田野。
(3)若菜摘む:“若菜”指「春の七草」,即“芹”「せり」、“荠”「なずな」、“鼠麴草”「ごぎょう」、“繁缕”「はこべら」、“稻
槎菜”「ほとけのざ」、“芜菁”「すずな」、“萝卜”「すずしろ」。日本民俗在正月初七用这七种植物来煮粥。
(4)わが衣手に:「衣手」是「袖」的歌语。
(5)雪は降りつつ:「雪」是指初春的雪,在古代被认为是祥瑞和吉兆。「つつ」是表示反复、继续的接续助词。&
因为此歌收于《古今和歌集》卷一,歌前有序云:「仁和の帝、親王におはしましけるときに、人に若菜賜ひける御歌」。意即这是一首光孝
天皇在年轻的时候将若菜送给某个人时所作的和歌。
初春田野霁,
若菜正繁时。
愿采送伊人,
雪融衣袖湿。
16、たち別れ、いなばの山の、峰に生ふる、まつとし聞かば、今帰り来む
たちわかれ、いなばのやまの、みねにおふる、まつとしきかば、いまかへりこむ&&
(1)たち別れ:「たち」是表示强调的接头词。(2)いなばの山の:「いなば」是挂词,表示谐音双关,既指作者的流放地「因幡」,也指因幡的名山「稲葉」山,同时还有「往なば」的意
(3)峰に生ふる:「生ふる」是「生ふ」的连体形。(4)まつとし聞かば:「まつ」也是挂词。从前两句的文义来看,是指「松」,从后句的文义来看,则是指「待つ」。「し」是表示强调的副
助词。「聞かば」则表示假定条件,意即“一听到稻叶山上的松(的声音),就会思念家乡,恨不得马上返回”。
(5)今帰り来む:「今」意为立即、马上。「む」是表示意志的助动词,相当于「よう」。
别后愁肠断几回,&
松风犹似唤侬归。
17、ちはやぶる、神代も聞かず、竜田川、からくれないに、水くくるとは&
ちはやぶる、かみよもきかず、たつたがわ、からくれないに、みずくくるとは——在原业平朝臣
(1)ちはやぶる:「ちはやぶる」也写为「千早振る」,意即威风凛凛、庄严肃穆,是「神」的枕词。
(2)神代も聞かず:「神代」指神话时代,神话时代流传着很多不可思议的故事,连神话时代都闻所未闻的事,足见奇异。
(3)竜田川:「竜田川」是流经奈良县生驹郡斑鸠町龙田山下的河流,两岸的枫叶极为有名,是日本观赏枫叶的胜地。
(4)からくれないに:「から」即「唐」,日本平安时代从唐朝传来了很多新鲜事物,在当事人日本人的眼里,唐朝的东西就是风雅和品位的
象征。在事物名称之前加一「唐」字,则是形容该事物极其美好。「くれない」即「紅」,「唐紅」即非常高雅、鲜艳的红色。「に」是表示
事物变化的格助词,意即“变为”。
(5)水くくるとは:「くくる」是「くくり染め」,亦即「絞り染め」,指扎染、绞染。这一首和歌整体上是用倒装法,实际上的语序应该是
「たつたがわ(は)、みず(が)くくる、からくれないに、とは、ちはやぶる、かみよもきかず」。
神代未闻今日见,
飘飘枫叶染竜川。
18、住の江の、岸による波、よるさへや、夢の通ひ路、人めよくらむ
すみのえの、きしによるなみ、とるさへや、ゆめのかよひぢ、ひとめよくらむ——藤原敏行朝臣
(1)住の江の:「住の江」是大阪市住吉区一带的海岸,是观赏松树的名胜之地,暗指「松」。「松」是和歌中常用的挂词,与「待つ」双关
(2)岸による波:「よる」可写为「寄る」,即“靠近”之意。「住の江の岸による波」是序词,作为下一句中的「よる」的定语。
(3)よるさへや:「よる」是挂词,既是与上文「寄る」的同语反复,又与「夜」双关。「さへ」即「さえ」,是表示添加的副助词,意为“
甚至、连”。「や」是表示感叹的系助词,与末句的「らむ」形成系结关系。(4)夢の通ひ路:「夢」与「通ひ路」在此实为同一含义,指现实中不能与情人相会,因而只有“梦”这一条唯一的“通路”。同语反复,起
到强调的作用。(5)人めよくらむ:「人め」即「人目」,「よく」即「避く」,「人めよく」意即“避而不见”。「らむ」是表示原因推量的助动词,意为
“大概”。作者本来指望能在梦中看到远在他方的情人,却总是梦不到,因而猜测大概是伊人娇羞,避而不见吧。
欲借江波通梦境,
伊人不见使人愁。
019.難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
难波滩上芦苇短,片刻相逢片刻阑。
岁月无端空等逝,飘零此世不多年。
020.わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
風雨城中滿,
相思蝕骨銷。
逢君何可畏?
舍死作澪標。
21、今来むといひしばかりに長月の有明の月をまち出でつるかな。——素性法师
长夜候君君不至,
阶前明月等多时。
22、吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
山风骤起如岚雾,时至秋深草木枯。
023.月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
明月滿前窗,
千愁不可量。
秋來光萬里,
岂照一人傷。
024.このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに
幣帛未帶因羈旅,
紅葉滿山持獻神。
025.名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
/三条右大臣
逢坂山中真葛草,
相思纏係萬千條。 願隨枝蔓到君処, 不被人知不必逃。
026.小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ
秋霜醉紅葉,
遍染小倉山。莫使凋零去,明朝待聖顏。
27、みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ
/中納言兼輔
这个有谐音不好翻
瓶原河水分,&
涌到泉川边。我自空追慕, 相逢在哪天?
028.山里は 冬ぞさびしさまさりける 人目も草も かれぬと思へば
/源宗于朝臣
冬歌 (五绝)
冬至此山上,
与时寂寞长。
草枯随万物,
人亦逐炎凉。
029.心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花
/凡河内躬恒
采菊初霜日,
霜白菊亦白。 菊霜不可辨,反復遲疑摘。
30、有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし。——壬生忠岑
谁知寂寞苦,残月挂长天。
我自别离后,思君夜不眠。
明月照無情,此別吞恨聲。
如今愁影对,破晓有黎明?
031.朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に ふれる白雪
朦朧睡醒床前月,
卻是皎皎雪映窗。
32、山川に風のかけたるしがらみは流れもあヘぬ紅葉なりけり。——春道列榭
清风微蹙浪,
红叶动幽川。
此景当天赐,
深秋志贺山。(越志贺山时咏)
33、久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
今朝春日里,
本拟共芳尊。
无奈樱花落,
纷纷乱我心。
34.誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
/藤原興風&
(たれをかも しるひとにせん たかさごの まつもむかしの ともならなくに)
旧友凋零离此世,&
高砂松树不相识。
我今孤寂凭谁问?
一处忧伤几处知?
35、人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける。——纪贯之
故地重来日,幽幽我自伤。
今人已不在,徒有旧花香。
36、夏の夜は まだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
/清原深養父
夏夜未觉曦已至,
月将云借不思归。
037.白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
清秋原野上,
風動增天涼。多少珍珠露, 紛紛散遠方。
38、忘れるる身をば思はず誓ひてし人の命のをしくもあるかな——右近
波澜誓在否?&&
君意不能违。
见弃如秋扇,
相抛何太急?
039.浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
篠原竹滿地,
茅草似儂憂。
難掩相思意,
為情轉側愁。
40、忍ぶれど 色に出にけり わが恋は 物や思ふと
人の問ふまで/平兼盛
相思眉宇上,
欲掩不由心。
我自忧思甚,
不需诘问人。
041.恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
初戀在閨中,&
避人但恐言。 誰知蜚語快,舉世已風傳。
42、契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは。——清原元辅
今日泪盈袖,犹思相契坚。
爱如波浪涌,吞此末松山。
43、あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり。——权中纳言敦忠
相识犹恨晚,相爱费痴缠。
爱恨纠结中,此心难复前。
044.逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
/中納言朝忠
邂逅逢時心已動,
而今傾慕兩難中。 人生若只如初見,不必相思滿畵櫳。
045.哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
爱上无情女,
终朝寂寞身。&
蹉跎空耗命,
吾体渐湮沦。
046.由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな
由良峡水急,
欲渡无舟楫。
纵此飘飘去,
真情不可及。
047.八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
杂草漫庭院,
千丛叶自长。
繁华今已逝,&
寂寞享秋光。
048.風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな
君似岩石我似浪,
斯心撞碎君应知。
049.みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ
/大中臣能宣朝臣
相思之焰随篝火,
昼夜无眠摧心肝。
050.君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
幽情一夜求长久,
为爱不惜抛死生。
051.かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしもしらじな
もゆる思ひを /藤原実方朝臣
伊吹艾草茂无垠,
犹若相思泪满襟。&
我有痴情能付欤?&
焚心焚爱亦焚身。
052.明けぬれば 暮るるものとは知りながら なほうらめしき
朝ぼらけかな /藤原道信朝臣
晓日催分袂,
迟迟不忍归。&
纵然今夜见,
犹恨此朝晖。
053.なげきつつ ひとりぬる夜のあくるまは いかに久しき
ものとかはしる /右大将道綱母
太息复太息,&&
寂寞了无时。&
多少未眠夜,&
问君知不知?
54、忘れじのゆく末まではかたければ今日を限りの命ともかな。——仪同三司母
君言不忘到来世,
今日何妨许此生。
55、滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ。——大衲言公任
天生飞瀑涛声烈,
不负名传天下长。
056.あらざらむ この世のほかの思ひ出に いまひとたびの
逢ふこともがな
/和泉式部&
(あらざらん このよのほかの おもいでに いまひとたびの
あうこともがな)&
【現代訳】
私はきっともうすぐ死んでしまって、この世からいなくなるでしょう。ですから、私があの世にいった後で、この世に生きていた時の思い出にできるように、
せめてもう一度あなたにお会いしたいのです。(この歌は和泉式部が重い病にかかり、自分の人生を振り返りながら詠んだ歌である。)
我命将休矣,
黄泉路已明。
不求得恕免,
唯愿与君逢。
57、めぐりあひてみしやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな。——紫式部
长盼相逢恨未逢,
相逢不至各西东。
无奈恰如夜半月,
匆匆总在密云中。(变体七绝)
058.有馬山 猪名の笹原風吹けば いでそよ人を
忘れやはする
/大弐三位&&
(ありまやま いなのささはら かぜふけば いでそよひとを
わすれやわする)【現代訳】
有馬山のそばの猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと鳴ります。
その音のように、そうですよ、どうしてあなたを忘れたりするものですか。
猪名川岸青原野,
有马山中竹叶林。
君爱渐疏终不忘,
山风犹助我声音。
059.やすらはで 寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの
月を見しかな
/赤染衛門&&
(やすらわで ねなましものを さよふけて かたぶくまでの
つきをみしかな)
&【現代訳】
あなたが、おいでになるなんておっしゃらなければ、私はためらわずに寝てしまったのに。
あなたの言葉をあてにして待ち続け、とうとう月が西の山に沈むまで、眺めてしまったのよ。
夜阑难入梦,
君诺却成空。
我自痴心甚,
叹息望月中。
60、大江山生野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立。——小式部内侍
大江山路远,
桥立未曾临。
我自才思敏,
何须问母亲?
061.いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
/伊勢大輔&
(いにしえの ならのみやこの やえざくら きょうここのえに
においぬるかな)
【現代訳】
昔の奈良の都、平城京で盛りの春に美しく咲き誇っていた八重桜。
その八重桜が今、九重(宮中)で美しく咲き誇り、匂っています。まことにめでたい限りです。
奈良城里牡丹樱,
烂漫香薰透九重。
62、夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ。——清少纳言
莫学鸡叫过函谷,
逢坂关前妾意绝。
063.いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
/左京大夫道雅&
(いまはただ おもいたえなん とばかりを ひとづてならで
いうよしもがな)
【現代訳】
今はもう、あなたのことはきっぱりあきらめようと決めたが、
ただそれだけを人づてでなく、直接あなたに伝える方法があればなあ
(せめてもう一度あなたに会いたい)。
※左京大夫道雅は三条上皇を父に持つ当子内親王と恋に落ちたが、
それが三条上皇の怒りにふれ、身分を落とされるはめになり、会うことを許されなくなったのである。
飞祸终绝爱,
音书俱渺茫。
明朝能见否,
相对诉衷肠。
064.朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
/権中納言定頼
(あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらわれわたる
せぜのあじろぎ)
【現代訳】
ほのぼのと夜が明けるころ、宇治川に立ちこめた川霧が、とぎれとぎれに晴れてきた。
しだいに川一面に現れてくる、浅瀬に仕掛けられた網代木(あじろぎ)も点々と姿を現してきた。
※網代木…網代は冬魚をとるために杭を並べて打ち、編んだスノコを仕掛けて取る漁法で、網代木はその杭のこと。
宇治临冬晓,
幽幽冷雾中。
鱼梁时现隐,
江水正冥蒙。
065.うらみわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそをしけれ
(うらみわび ほさぬそでだに あるものを こいにくちなん
なこそおしけれ)
【現代訳】
あなたの冷たさを恨み、悲しい想いで流す涙で
乾くひまもない袖でさえ、こうして朽ちもせずに残っている。
この恋のために、つまらないうわさをたてられ、
私の評判がすっかり落とされてしまうとは、なんとも口惜しいことです。
袖上潜垂泪,
花间枉断肠。
清名遭毁誉,
憔悴谁知伤?
066.もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
/前大僧正行尊
(もろともに あわれとおもえ やまざくら はなよりほかに
しるひともなし)
【現代訳】
私がおまえを懐かしく思うように、おまえも私を懐かしいと思っておくれ、山桜よ。
こんな山奥では、桜の花のおまえの他には、私の心を知る人は誰もいないのだ。
深山人罕至,
却遇樱花开。
物我两相忘,
唯它慰我怀。
67、春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそおしけれ。——周防内侍
春夜梦阑当睡去,
不堪手枕叹名声。
068.心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
(こころにも あらでうきよに ながらえば こいしかるべき
よわのつきかな)
【現代訳】
心からの願いでもなく、自分の本心に逆らってこのつらい世を生きながらえたならば、
その時こそ、きっとこの宮中で見た夜の月が、恋しく思い出されることだろう。
※この歌は、目の病気になった三条天皇が退位しようと悩んでいるころに
宮中で美しい月を眺めて詠んだ歌である。
この歌を詠んだ後、三条天皇は退位することになる。
滚滚红尘终误我,
今宵夜月可流连?
069.能因法师
红叶风吹散,
秋深三室山。
飘飘如绣锦,
尽染龙田川。
70、寂しさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ。——良暹法师
出门抬望眼,寂寞四周空。
暮霭沉沉过,秋凉萧瑟中。
或者译为:
寂寞门前空怅望,
秋光暮色正苍茫。
071.夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く
/大納言経信
(ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに
あきかぜぞふく)
【現代訳】
夕方になると、家の前にある田の稲の葉を、そよそよと音をたてて訪れ、&
芦でふいたそまつな小屋に、秋風がふいてくるよ。
田野暮苍茫,
风吹瑟瑟凉。
稻田甫掠过,
又到芦屋旁。
072.音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ
/祐子内親王家紀伊&
(おとにきく かたしのはまの あだなみは かけじやそでの
ぬれもこそすれ)
【現代訳】
うわさに高い、高師の浜のむなしく寄せてはかえす波が、袖に濡れないようにしましょう。
袖が濡れては大変ですから。
移り気とうわさの高いあなたに、想いをかけることもしますまい。&
涙で袖が濡れると、困りますから。
高师海浪涌,
来去不能知。
将此喻君爱,
使吾衣袖湿。
073.高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山のかすみ たたずもあらなむ
/前権中納言匡房
(たかさごの おのえのさくら さきにけり とやまのかすみ
たたずもあらなん)
【現代訳】&
高い山の峰の上に、美しい桜が咲いたなあ。
近くの人里近い山の霞よ、どうか立たないでおくれ。&
あの美しい山桜をいつまでも見ていたいから、隠さないようにしておくれ。
雾起氤氲遮望眼,
樱花烂漫远峰间。
074.憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを
/源俊頼朝臣&
(うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは
いのらぬものを)&&
【現代訳】
私に冷たかった人の気持ちがこちらになびいてくれるよう、初瀬の観音にお祈りしました。
ですが、その初瀬の山から吹きおろす激しい風のように、
あの人の冷たさがいっそう激しくなれとは祈らなかったはずです。
佛前空祝祷,
何奈总无情?
初濑山归去,
痴心付冷风。
075.ちぎりおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
/藤原基俊&
(ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あわれことしの
あきもいぬめり)
【現代訳】
あなたが約束してくださいました(ヨモギの草についた恵みの露のように)ありがたいお言葉を、
命のように大切にしてきましたが、それもむなしく、今年の秋も過ぎてしまうようです。
※させも…「させも草」は、平安時代の万能薬だったヨモギのことで、ありがたられていた。
来是空言去是蓬,
譬如朝露已尘封。
老来渐觉秋怀冷,
人世无常逝晚风。
076.わたの原 こぎいでて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波
/法性寺入道前関白太政大臣
(わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもいにまがう
おきつしらなみ)
【現代訳】
広大な海原に船を漕ぎ出して見わたすと、
遠くの方では白い雲と見わけがつかないような、沖の白波が立っているのが見える。
まことに茫洋と果てしない光景である。
放眼极悠远,
茫茫一小船。
海天相吻处,
犹有水云翻。
077.瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
(せをはやみ いわにせかるる たきがわの われてもすえに
あわんとぞおもう)
【現代訳】
川の浅瀬の流れが早いために、岩にせき止められた急流が、
いったんは二つに分かれても、また下流で一つになるように、
私達二人もたとえ今は人に邪魔されても、将来はきっと結ばれようと思う。
激流石上成双股,
你我真情不可分。
078.淡路島 かよふ千鳥の なく声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守
(あわじしま かようちどりの なくこえに いくよねざめぬ
すまのせきもり)
【現代訳】
淡路島から通ってくる千鳥の悲しげに鳴く声に、いく夜目を覚ましたことだろうか。
この須磨の関の番人は。
淡路鸟飞徊,
鸣声多少悲。
须磨征戍客,
夜夜梦魂违。
079.秋風に たなびく雲の たえ間より もれいづる月の 影のさやけさ
/左京大夫顕輔
(あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいずるつきの
かげのさやけさ)
【現代訳】
秋風に吹かれてたなびいている、雲の切れ間から漏れ出てくる月の光の、
なんと明るく、清らかに澄みきっていることだろう。
秋风飒飒吹悠远,
月在浮云隙处明。
080.長からむ 心もしらず 姢 みだれてけさは 物をこそ思へ
/待賢門院堀河
(ながからん こころもしらず くろかみの みだれてけさは
ものをこそおもえ)
【現代訳】
あなたの愛が長く続くかどうか、あなたの心もわからず別れた今朝は、
私の姢窑欷皮い毪瑜Δ诵膜饴窑欷啤⑽锼激い松颏螭扦い蓼埂
曾言心不变,
我自意迟迟。
今日散青发,
忧思君可知?
81、其一、ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ殘れる
——藤原实定
清夜子规啼,
声声碎耳旁。
遍寻空不见,
残月晓天长。
或译:天色曦微闻杜宇,举头新月一弯残。
082.思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり
(おもいわび さてもいのちは あるものを うきにたえぬは
なみだなりけり)
【現代訳】&
つれない人のことを思い、悩み、悲しんでいても、
それでもやはり死にもしないで命はなんとかとりとめているのに、
辛さに耐え切れず、流れてしまうのは涙であったよ。
爱上无情恨不生,
眉头心底两难平。
岂堪热泪朝朝下,
成线成行不可停。
83、世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる。——皇太后宫大夫俊成
茫茫尘世路,奔走不曾停。
此意无人会,且听山鹿鸣。
084.ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき
/藤原清輔朝臣&
(ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみしよぞ
いまはこいしき)
【現代訳】&&
もし生きながらえたならば、辛いことの多い今のことが、懐かしく思い出れるだろうか。
かつては辛いと思った昔が、今では懐かしく思われるのだから
人生何处是终极,
往事悠悠付累灰。
今日伤怀明日判,
几分甜蜜几分悲。
085.夜もすがら 物思ふころは 明けやらぬ 閨のひまさへ つれなかりけり
(よもすがら ものおもうころは あけやらで ねやのひまさえ
つれなかりけり)&
【現代訳】
恋人の冷たさを恨んで、一晩中思い、嘆いている。
このごろはなかなか夜が明けなくて、朝の光が射し込んでこない寝室の隙間まで無情に感じられるよ。&
夜夜苦捱君不至,
无情板隙更无光。
086.なげけとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
/西行法師&&
(なげきとて つきやはものを おもわする かこちがおなる
わがなみだかな)
【現代訳】
嘆き悲しめといって、月は私に物思いをさせるのだろうか。
いや、そうではない。&
本当は恋のせいなのに、まるで月のせいであるかのように、
恨みがましく流れる私の涙であったよ。
望月空长叹,
愁思万万千。
蟾光何罪有?
我自泪潸然。
087.村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ
(むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる
あきのゆうぐれ)&&
【現代訳】
さっと通り過ぎたにわか雨が残した露もまだ乾ききっていない杉やひのきの葉のあたりに、
もう霧がたちのぼっている。ものさびしい秋の夕暮れだよ。
骤雨初歇村似画,
蒙蒙夕雾满秋山。
88、難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ 身をつくしてや
恋わたるべき/皇嘉門院別当
难波江上芦,&
犹为记今夕。&
我义无回顾,
忠贞永不移。
或者译为:
难波芦短良宵短,
妾自情长君亦长?
89、玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの
よわりもぞする/式子内親王
此身当绝直须绝,
何必深情藏掖着。
090.見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず
/殷富門院大輔
(みせばやな おじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし
いろはかわらず)
【現代訳】
悲しみの涙で色が変わってしまった私の袖を、あなたにお見せしたいものです。
あの雄島の漁夫の袖でさえ、毎日海の水しぶきに濡れていても、色は少しも変わらないというのに。
渔夫衣袖空湿透,
不如我泪染成红。
091.きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む
/後京極摂政前太政大臣
(きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき
ひとりかもねん)
【現代訳】
こおろぎがしきりに鳴いている。&
白々と霜のおりているこの寒い夜を、私はむしろの上に着物の片方の袖を敷いて、
寒々しく一人寂しく寝るのだろうか。&
被天席地秋深矣,
满室清霜一客孤。
092.わが袖は 潮干にみえぬ 沖の石の 人こそしらね かわくまもなし
/二条院讃岐
(わがそでは しおひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね
かわくまもなし)
【現代訳】
私の袖は、潮が引いたときも見えない海の底の石のように、人には見えないでしょうけれども、&&
あの人を思う恋の涙に濡れて、わずかの間さえかわくひまがないのです。
抛情洒泪皆因汝,
爱似礁石隐不出。
93、世の中は常にもがもな渚こぐ小舟の綱手かなしも——镰仓右大臣
船行滩下纤夫手,欸乃一声山水幽。
(总感觉此歌无视劳动人民疾苦)
翻译错了,改为:
时间随水逝,
生命本恒长。
君看纤夫影,
壮哉断我肠。
094.み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣うつなり
(みよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさとさむく
ころもうつなり)
【現代訳】
吉野の山から吹きおろす秋風に、夜もしだいに更けてきて、
昔、都があったこの里のあたりには、
衣をうつ砧(きぬた)の音が、寒々と身にしみて聞こえてくることだ。
秋风吹瑟瑟,
吉野夜幽清。
万户捣衣起,
增我故园情。
95、おほけなくうき世の民におほふかな我がたつ杣に墨染の袖。——前大僧正慈圃
人间岁月何悠远,
思绪无边比叡山。
安得佛光舒广袖,
众生从此开欢颜。
96、花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり。——前太政大臣入道
山风庭院过,
花落舞纷纷。
坐看犹霜鬓,&
蹉跎似我身!
097.来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ
/権中納言定家
(こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしおの
みもこがれつつ)
【現代訳】
いくら待っても訪れてこない恋人を毎日毎日待ちこがれている私は、
あの松帆の浦で夕なぎの頃焼くという藻塩のように、
燃え盛る恋の思いにやかれて、身もこがれるほどに苦しんでいるのです。
思君不得见,
伫立浪潮平。
海火熬盐夜,
吾心犹似蒸。
098.風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける
/従二位家隆
(かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれは みそぎぞなつの
しるしなりける)
【現代訳】&
そよそよと吹きわたる六月の風に、ナラの葉がそよげば、
この「奈良の小川」のあたりの夕暮れは、もうすっかり秋の気配が感じられる。
だが、あの川のほとりで行われている六月祓(みなづきばらえ)の行事だけが、まだ夏の印なのだなあ。
风吹栖树动,
暮色满京都。
御洗水纯净,
可能涤罪无?
99、人も愛し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は
——后鸟羽天皇
爱恨合成人,
空谈世上真。
恩仇谁泯灭?
烦恼不能扪。
100.ももしきや ふるき軒ばの しのぶにも なほあまりある
昔なりけり
(ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまりある
むかしなりけり)現代訳】
この御所の建物の、古びた軒端に生えているしのぶ草を見るにつけても、
朝廷のさかえた昔が懐かしく思われて、&
いくらしのんでもしのびきれない程うらやましく思われることだなあ。
※ももしき…「百敷」または「百石城」と書き、多くの石でできた城という意味から,御所のこと。
※しのぶ草…シダ植物で、水がなくなっても耐え忍ぶ草であり、それが名前の由来でもある。
深宫荒草没,
战乱频仍过。
回念旧繁华,
太息不能绝。
以上网友发言只代表其个人观点,不代表新浪网的观点或立场。}

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